これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
業務終了後、事務室の蛍光灯の下で、同僚の鈴木美桜さんが書いた運行簿をめくっていたときのことだ。彼女の少し丸っこい文字で書かれた備考欄の一行で、私の指が止まった。
「死にたいと思ったことがある」
ドキリとするような言葉の主は、いつも元気な小学生の男の子だという。美桜さんが理由を尋ねると、「ひいおばあちゃんが死んじゃったから」と答えたそうだ。
「死んだら、ばあちゃんに会えるでしょ」
その言葉は、私の背筋を冷たくさせるような「死」への衝動ではなかった。「会いたい」という、痛いくらいにまっすぐで、混じりけのない愛の言葉だった。
「これからは図書館のプロの出番ね」
そんなふうに、期待を込めて言われることが増えた。私の頭の中には、確かに「子供のグリーフケア」だとか「命の授業」といった分類項目がある。以前の私なら、すぐにその引き出しから「正解」の一冊を抜き出して、あの子に手渡すのが正義だと信じていただろう。それが、プロの仕事だと思っていたから。
でも。
ふと、スーザン・バーレイの『わすれられないおくりもの』を思い出す。アナグマが森の仲間たちに残したのは、立派な教えや教科書じゃなかった。ハサミの使い方、スケートの滑り方、手をつないだ温かさ。不器用で、なんの分類もできない、ただの時間の積み重ねばかりだ。
あの子に必要なのは、専門家による分析や、適切な図書の推薦なのだろうか。私は正解をもっていない。でも、「そっか、会いたいんだね」と、ただその気持ちを隣で頷いて聞いてくれる、近所のお姉さんのような存在も必要だと思う。
「あのこと」以来、私たちは「正しさ」よりも、ただそこにいるだけの「優しさ」が、時として人を支えることを知った。プロフェッショナルである前に、まず一人の「隣人」でありたい。
運行簿のそのページを、私はもう一度指でなぞる。暖房の効いた事務室で、冷蔵庫の低いモーター音だけが、やけに大きく響いていた。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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