第2話 11枚目の駄文

地獄だった。

その一週間は、まさしく地獄という言葉が生温く感じるほどの苦行だった。

チャールズ・ブコウスキー。黒崎部長に押し付けられたその作家は、僕が今まで触れてきた「文学」の対極に位置する存在だった。品性のかけらもない言葉、救いのない日常、アルコールと暴力とセックス。美しい比喩も、感動的なプロットも、そこにはない。ただ、醜く、剥き出しの現実が、汚れた活字となって僕の脳に殴りかかってくる……知らんが、そう思えた。

「……感想文、400字詰めで10枚……」

最初の三日間、僕は一行も書けなかった。何を書けばいいのか、皆目見当もつかない。この、どうしようもない「ろくでなし」の人生の記録から、一体どんな高尚な感想を抽出しろというのか。

四日目の夜、僕は半ばヤケクソで書き始めた。感じたこと、いや、感じさせられた不快感や苛立ちを、そのまま原稿用紙に叩きつけるように。ブコウスキーの文体を真似て、わざと汚い言葉も使ってみた。そうやって書いているうちに、いつの間にか夜が明けていた。

気づけば、目の前には原稿用紙の山。数えてみると、ちょうど11枚あった。

推敲する時間も、気力もない。僕はその11枚の紙の束を、クリアファイルに滑り込ませた。これが僕の、一週間の全てだった。

そして、運命の放課後。

文芸部のドアを開けると、そこにはいつも通りの光景が広がっていた。窓際の席で、黒崎部長が本を読んでいる。今日はハードカバーの、やけに分厚い本だ。表紙には『存在と無』と書かれている。

「……あの、部長」

「来たか。締切は守るとは、凡俗にしては感心だな」

彼女は本から目を離さないまま、僕の接近を認識する。僕は震える手で、クリアファイルを彼女の机に差し出した。

スッ、と彼女の白い指が伸び、中から原稿の束を抜き取る。パラリ、と彼女はまず、その枚数を数えた。そして、ぴたりと動きを止める。

空気が、凍った。

「……おい」

「は、はい」

「私は、何枚と言った?」

「……じゅ、10枚、です」

「そうだな。10枚だ。では、これは何だ?」

彼女が人差し指でトントン、と叩いた原稿用紙の束。その厚みは、明らかに僕の罪を告発していた。

「……11枚、あります」

「そうか。君は、1から10までの数も数えられないのか。それとも、私の日本語が理解できなかったか。後者なら、まずは国語の教科書からやり直すことを推奨するが。いや、算数か。どっちがいい?」

冷たい声が、僕の罪悪感を抉る。すみません、と蚊の鳴くような声で謝る僕を無視して、彼女は溜息一つとともに、原稿の一枚目に目を落とした。

沈黙が続く。時折、彼女の眉がぴくりと動いたり、鼻で笑うような気配がしたりする。僕にとっては、判決を待つ被告人のような時間だ。心臓の音が、やけにうるさい。

やがて、彼女はぱさりと原稿を机に放り投げた。

「……なるほどな」

「ど、どうでしたか……?」

「どう、とは? 感想を聞かせろと? いいだろう。君の知能レベルに合わせて、分かりやすく評価してやる」

彼女は、すっと人差し指を立てた。

「まず、全体を通して稚拙。ブコウスキーの表層的な厭世観や悪態をなぞっているだけで、その根底にある絶望や渇望への洞察がまるでない。ただの猿真似だ」

「うっ……」

「次に、構成の破綻。感情のままに書き殴っているだけで、論理的な整合性が皆無。君の脳内が、いかに無秩序なカオスであるかを証明するだけの文章だ」

「ぐ……」

「そして何より、不快。君自身の言葉で語ることを放棄し、他人の文体を借りて悪態をつく様は、虎の威を借る狐そのもの。読んでいて、憐れみすら覚える」

的確な、あまりにも的確な駄目出しの三連撃。僕のなけなしのプライドは、粉々に砕け散った。やっぱり、ダメだったんだ。

僕は俯き、唇を噛み締めた。もう、何も言い返せない。

すると、彼女はふと、意外なことを口にした。

「……特に、この11枚目」

「え……?」

「最後の締めの一文は、君が書いた文章の中で最も陳腐で、救いようがない」

11枚目。

その言葉に、僕は顔を上げた。

彼女の目は、確かに最後のページを読んだ者の目をしていた。

「『結局、僕はブコウスキーにはなれない。なれないが、彼の渇きだけは少しだけ理解できた気がする』、か。凡俗が、十年早い。……だが」

彼女はそこで初めて、僕の目をまっすぐに見た。

その表情は、怒りでも、侮蔑でもなかった。形容しがたい、呆れと、ほんの僅かな何かが混じり合った、複雑な色をしていた。

「……10枚でやめておけば、凡作で済んだものを。わざわざ蛇足の一枚を加えて駄作に格下げするとは」

彼女は、ふっ、と息を漏らした。それは、笑ったようにも見えた。

「……本当に、馬鹿じゃないのか」

僕は、何も言えなかった。

ただ、心臓が一度だけ、大きく跳ねた。

それは罵倒のはずなのに、なぜか、今までで一番嬉しい言葉のように聞こえた。

僕の11枚目の駄文を、この人は確かに、最後まで読んでくれたのだから。

(第3話に続く)

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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