【登場人物】
徒然士(ただぜんじ): 完璧な様式美を信奉する、気難し屋の文芸評論家。
おはぎはん: 面白そうなことには即行動の、猪突猛進型ジャーナリスト魂を持つライター。
【場面設定】
平日の午後。池袋駅東口、ビックカメラ本店の前。多くの人々が行き交い、店からはお馴染みのCMソングが賑やかに流れている。
(雑踏の中、徒然士とおはぎはんが並んで立っている。徒然士は腕を組み、心底不愉快そうな顔でビックカメラの看板を見上げている)
徒然士:……解せん。実に解せん。
おはぎはん:先生、さっきから何がそんなにご不満なんです? さっきのカフェの「アメリカンドーナッツ」、美味しかったやないですか。
徒然士:それだ、おはぎくん! まさにその「ッ」だ! なぜ、わざわざ小さい「ッ」を入れる必要があるのか!
おはぎはん:(笑いながら)先生、「ッ」って、言えてまへんよ。
徒然士:ふんっ。「ドーナツ」で完結している美しい円環を、なぜ自ら歪めるのだ! 野暮の極みだ!
おはぎはん:(呆れて)どっちでもええやないですか、美味しいんやから。それより先生、見てください。ビックカメラ、でっかいですなあ。ココアン村の大学の建物以上にでかい。
徒然士:論点をずらすな! 言葉の乱れは世界の乱れだ! あれは、無意味な装飾だ。蛇足だ! ドーナツの穴のように、あの「ッ」(言えてない)も消え去るべきだ!
おはぎはん:せやけど、こないだ、ドーナッツはあの穴があるからドーナッツなんやでって教えてくれた人がおったし。(ビックカメラから流れるCMソングに耳をすませる)あ、この歌。
(♪~~ふくふくふくろう いけぶくろ~ ビックビックビックビックカメラ~)
おはぎはん: そういえば、歌、変わりましたよね。
徒然士:う、歌? (話の腰を折られ、不満げに)……何の話だね?
おはぎはん: ビックカメラの歌ですよ。昔は「ふしぎなふしぎな いっけぶくろ~」やったやないですか。
徒然士:「まぁるいみどりのやまてせん」というのもあったな。
おはぎはん:(徒然士の言葉を無視して)あの歌、子供のころ、ずーっと「ふしぎなふしぎな いっけぶくろ~」って聞こえとったんです。
徒然士:(おはぎはんの言葉に、ぴくりと反応する)……ほう。「いけぶくろ」ではなく、「いっけぶくろ」と?
おはぎはん:そもそもそないな風に歌ってたってのもあると思うんですけどね。「いっけ」って。小さい「つ」が入っとるように聞こえて。
徒然士:(急に生き生きとした表情になり)いや、実に興味深い! 都市の喧騒という名のフィルターが、本来の歌詞の様式美を、より洗練された形へと昇華させた結果かもしれん!
おはぎはん:はあ……?
徒然士:「い」という母音が促音便化、つまり「っ」という破裂音に変化することで、言葉に緊張感とリズムが生まれる! 池袋という街の持つ、猥雑でエネルギッシュな本質を、無意識のうちに君たち若者の耳が捉え、言語的に再構築したのだ! それこそが、真の……。
おはぎはん:(徒然士の熱弁を遮り、彼の手をぐいと引く)先生、もうええですって! もともと、先生の古本漁りに付き合うて、池袋まで来たんですから。ココアン村にだって古書店あるのに。
徒然士:(歩き出したおはぎはんの背に向かって)ま、待ちなさいおはぎくん! 話はまだ終わっては……!
おはぎはん:なんか、小さい「つ」の話してたら、またドーナッツ食べたくなってきましたわ! 今度は小さい「つ」の付かんやつ、探しに行きましょ!
徒然士: だから、問題はそこではないと……! おい、聞いているのかね! おはぎくーん!
(徒然士は、おはぎはんに引きずられるようにして、池袋の雑踏の中へと消えていく。ビックカメラからは、相変わらず賑やかなCMソングが流れ続けている)
作・千早亭小倉
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)

