【登場人物】
おはぎはん:取材ライター。情熱的だが、難しい話は少し苦手。
氷上静:現代思想家。ブックカフェ『シズカ』のオーナー。世界を独自の哲学で分析する。
中野小春:ブックカフェ『シズカ』の共同オーナー。静のパートナー。
【場面設定】
池袋のサンシャイン60を望む森の外れ、湖の光が静かに差し込むブックカフェ『シズカ』。
カウンター席で、おはぎはんが取材ノートを広げ、氷上静に熱心に質問している。その様子を、カウンターの内側から中野小春が穏やかに見守っている。
(レコードプレーヤーから、静かなピアノの音が流れている)
おはぎはん:ほんで先生、この商店会長の郷田さんなんですけどね。なんであないに自分の銅像建てたがるんやと思います? 自己顕示欲の塊、っちゅうだけやない気がして。
氷上静:(少し考えるようにカップを置き)……それはね、おはぎさん。彼の行為が、不在の中心を埋めるための、過剰なまでの遂行性(パフォーマティヴィティ)の発露だからよ。
おはぎはん:(ペンを握りしめ、必死に相槌を打つ)な、なるほどー!すいこうせい…パ、パフォーマ…ティビティ! さすが先生、目の付け所がちゃいますね!(ノートに意味不明なカタカナを書きながら、小声で)パフォ…て、ライブか…?
氷上静:(おはぎはんの表情から理解していないことを察し、少しだけ声のトーンを和らげる)ごめんなさい、難しかったわね。つまりね、彼は「偉大な会長である自分」という記号を演じ続けることでしか、自らの存在価値を証明できないの。彼は、空っぽの器なのよ。
おはぎはん:はあ……空っぽの器……。
氷上静:(なんとか分かりやすい比喩を探し、少しだけ身を乗り出す)そう。例えば、ドーナツを考えてみて。ドーナツがドーナツであるためには、真ん中の「穴」が必要不可欠でしょう? 郷田さんにとっての銅像は、あの「穴」と同じなの。その不在の象徴があるからこそ、彼はかろうじて「商店会長」という輪郭を保っていられる。
おはぎはん:(「ドーナツ」という単語に、ぱあっと顔が輝く)ドーナツ! なるほど! めっちゃ分かりやすいです!
氷上静:(伝わったことに安堵し、微かに微笑む)ええ。だから、あの銅像は……
おはぎはん:(静の言葉を遮るように、興奮して)つまり、郷田のオッサン、めちゃくちゃ腹が減ってただけっちゅうことですか!
氷上 静:(表情が凍りつき、完璧な沈黙が訪れる)…………え?
おはぎはん:だって、穴が開くほど腹が減っとったから、みんなに「ワシにメシ食わせろ!」て言う代わりに、銅像建てろ言うてアピールしとるんでしょ? いやー、遠回しな人やなあ!
氷上静:(ゆっくりとこめかみを押さえる)……おはぎさん。そういうことでは、ないのよ。ドーナツは、あくまでメタファーであって……。
おはぎはん:メタボ? やっぱり健康診断の結果が悪かったんや!
氷上静:(ぐったりとカウンターに肘をつき、天を仰ぐ)……もう、いいわ。彼は、お腹が空いているのよ。きっと。
(その様子を見ていた小春が、ふふ、と静かに笑いながら、二人の前に新しいカップをことりと置く)
中野小春:今日の珈琲は、『対話』というブレンドです。少しだけ、すれ違う香りがするんですよ。
おはぎはん:わ、ええ香り! この珈琲、難しいこと考えんでも美味しいって分かりますわ!
(おはぎはんは幸せそうに珈琲を味わう。静はそんな彼女を、諦めとも慈しみともつかない、複雑な表情で見つめながら、力なく微笑むのだった)
作・千早亭小倉
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