――三グラム。
定形郵便の規定である二十五グラムを大きく下回るその重さを、五年間配達鞄を提げてきた男の指先は正確に計量していた。
小名地区の路地裏に建つ音巴里荘は、無計画な増改築を繰り返した結果、一階に集合ポストを置くスペースすら失っている。配達員は毎回錆びた鉄階段を上り、迷路のような外廊下を歩いて、各部屋のドアの投函口へ直接郵便物を押し込まなければならなかった。
二階の角部屋。男は「五郎寺 圭音」と記されたドアの前に立つ。
男は長年の業務において、受取人のプロファイリングに明確な線を引いていた。性別や性格といった不確かな妄想は切り捨てる。彼が処理を許すのは、指先が捉える郵便物の質量と、過去に採集した環境音のみだ。中性的な宛名、三グラムの封筒、以前このドアから漏れていた微かなオルゴールの音。それらの事実の蓄積から男が構築した204号室の輪郭は、「極めて静的な生活を送る単身者」という揺るぎない確信だった。
ドア越しに、重低音が響いている。一定のリズムで、巨大な質量が床に叩きつけられる鈍い打撃音。すぐ隣の部屋では、住人の老人がドアを半開きにしたまま無表情で新聞を読んでいる。
男は204号室の投函口に三グラムの封筒を差し込んだ。
合板のフラップが内側に倒れるかすかな摩擦音。
その瞬間、打撃音が止んだ。
「……違うな。もっとこう、内臓を直接殴るような音が欲しいんだよ」
ドアの向こうから聞こえたのは、男の声だった。
直後、先ほどよりもさらに巨大な打撃音が響き、ドアの隙間から風圧と埃が吹き出した。 男は投函口から素早く指を引き抜いた。
男は無言で階段を降り、自転車のサドルに跨る。背後で続く鉄への打撃音の中、彼は冷たいペダルを踏み込み、次の配達先の番地を口の中で呟いた。
(了)
作・千早亭小倉
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