移動図書館日記(31)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

週末の運行。ボランティアさんが、小さな娘さんを連れてきてくれた。小学二年生だという。

ロマコメ号の中に響く、いつもより少しだけ甲高い声。それだけで、私が設定した「静かな読書の空間」という運行計画(ダイヤ)は、あっけなく書き換えられてしまう。子どもは、いつも私の秩序の外側からやってくる、予測不能な存在だ。

その子が、ここあん村の子どもたちと、あっという間に打ち解けていた。本を一緒に選んだり、車の外で笑いあったりしている。そのエネルギーの眩しさに、私は少し目を細めた。

図書館に戻り、ボランティアさんにも入ってもらい、活動の振り返りを行う。ボランティアさんから受け取るレポートに、小さな紙が添えられていた。

「私も書く」そう言って、娘さんが書いてくれたのだという。たどたどしい、けれど力強い文字が並んでいた。

「ここあん村の子どもたちとも、いっしょにたのしくあそべて、とてもたのしかったので、大人もみんなそんなくらい元気になってほしいな、とおもいました」

………。

その最後の一文を読んだ瞬間、息が、一瞬、止まった。

大人もみんな、そんなくらい元気になってほしいな。

あの純粋な目に、私たちはどう映っていたのだろう。集会所で静かにお茶を飲む大人たち。仮設の暮らしの中で、必死に日常の秩序を守ろうと、静かに本を借りていく、私たち。

ふと、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を思い出した。

飛行士が描いた「ウワバミ」の絵を、大人たちは誰もが「帽子」だと言った。でも、王子さまだけは、それがウワバミだと知っていた。

私たち大人は、「大丈夫」という名の「帽子」を被って、平気なフリをしているだけなのかもしれない。

「あのこと」の後、多くの大人たちは「元気」かどうかではなく、「秩序を保てるか」どうかで生きてきた。でも、その子のまっすぐな目には、私たちの被った「帽子」の中身が、全部見えていたんだ。「元気じゃない」大人たちが。

私の仕事は、本を届けること。それは、失われた日常という秩序を、本という座標軸で取り戻すためだと思っていた。

でも、その子がくれたレポートは、私の分類棚のどこにも収まらない。

「元気になってほしい」。

それは、私の守ろうとしていた秩序よりも、ずっと根本的で、痛いほどの願いだった。

この小さなレポート用紙を、私はしばらく、手帳に挟んでおくことにする。分類不能な、大切な問いとして。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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