移動図書館日記(42)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

ここあん村の外に出るのは、あのこと以来、初めてのことだった。昨日立てた移動計画通りに、図書館を出て、駅から決まった路線の上を走る電車に乗る。それだけのことが、こんなにも落ち着かない。私の完璧な運行計画の外側。すべてが、私の管理できない領域だ。

出張。復興に関する会議。私の頭の中の索引カードには、『分類:業務出張』『ステータス:必須』と、乾いた文字が印字される。

ネット会議で十分ではないか。資料という「秩序」は、データで共有されれば、それで完結するはずだ。そう、思った。

会議室の空気は、図書館の閉架書庫とはまた違う、冷たい完璧さで満たされていた。整然と並んだパイプ椅子。配られた資料の紙はまだ熱をもっていた。プリントアウトされたばかりなのだろう。そして、会議が始まる。会議らしい会議。事実を過不足なく伝え、感情の入り込む隙間を排除した、無機質で、安全な言葉。私が日報を書くときに使うような言葉が飛び交う。

その、完璧なはずの秩序の中で、私はなぜか、息苦しさを覚えていた。

「この土地の復興の話し合いなら、この土地の言葉が飛び交うべきではないか」

会議の途中、地元の関係者だという男性がマイクを持ち、呟くように言った。

不規則発言。聞かれたことに答えていない。でも……。

「標準語だらけで、違和感をおぼえる」

男性はそう付け加えて、席に座った。最後の声は少し震えていた。

私の思考が、一瞬、停止した。私の築いた防衛線に、予測不能な石が投げ込まれた。私の分類棚には、「会議=標準語=効率的」とある。でも、彼の言葉は、その分類を、根底から揺さぶる。

――土地の言葉。

ふと、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を思い出した。水俣の人々が語る、あの土地の言葉。それは、標準語に「翻訳」された瞬間、その痛みも、苦しみも、魂の熱量さえも、すべてこぼれ落ちてしまう、唯一無二のものだった。

そうだ。アレの後、避難所となっていた図書館で、私たちが交わした言葉も、決して「標準語」ではなかったはずだ。

私は、ロマコメ号で「本」という秩序を届けているつもりでいた。でも、同時に、私はあの車で、たくさんの「声」を聞いていた。おばあちゃんたちの、日々の暮らしの、あたたかい、あの「ものがたり」。豊島区につながるここあん村にでさえ、この村特有の「土地の言葉」がある。

あの会議室に足りなかったのは、情報ではない。まさに、あの「土地の言葉」という、分類不能で、非効率で、けれど確かな「座標軸」だったんだ。

そうだ。ネット会議では、ダメだったのだ。この空気の重さも、あの人の声の震えも、ここに来なければわからなかった。

業務日報には、「有意義な知見を得た」とでも書くしかない。でも、私の心の書棚には、また一つ、行き場所の決まらない、けれどとても重く、大切な一冊が差し込まれた。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

BMサブカテゴリー
higashiboctokをフォローする
タイトルとURLをコピーしました