S教授に廊下で呼び止められ、研究の進捗について二、三の質問を受けた。私が扱っているカンブリア紀の微小節足動物の形態について説明すると、教授は少し考えてから、「ああ、なるほど。要するに、当時の生態ニッチにおける、現生のフナムシのようなものか」と頷いた。
フナムシ。確かに、海底の有機物を摂食するデトリタス食者として、機能的に類似した生態的地位を占めていたと考えることもできる。理解を促進するためのアナロジーとしては、適切かつ効率的なのだろう。
だが、その一言は、私が顕微鏡越しに追いかけている生物から、5億年という時間をかけて獲得した固有の形態と系統の歴史を、一瞬で剥ぎ取ってしまう。それは、中生代の魚竜を指して「昔のイルカだ」と解説する行為に似ている。どちらも水中での高速遊泳に適応した流線型の身体を持つが、一方は爬虫類で、もう一方は哺乳類だ。その形態的収斂の背後には、全く異なる内部構造と、大陸移動に匹敵するほどの時間をかけた進化の分岐が存在する。
「わかる」という感覚は、時に危険な知的ショートカットだ。異なる系統樹に属する複雑な事象を、外見の類似性だけを頼りに同じ分類箱に収めてしまう。教授の言葉に悪意はない。 純粋な善意からの単純化だ。しかし、その無自覚な暴力性は、対象が持つ本来の解像度を著しく低下させていく。
私はただ「はい、そのように捉えることもできます」とだけ返答した。私の思考の海底では、教授の言葉によって撹拌された堆積物が、また新たな地層を形成すべく、静かに沈殿を始めている。
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/01/tops2.jpg)

