コント「羽根むしられかけて」

【登場人物】
恋流波 陽こひるははる: 飄々としたアーヌエヌエの長老格。「氷山女」の心を溶かすことに執念を燃やす青年。
岸辺 義道きしべぎどう:寺の跡継ぎで斜に構えた毒舌家だが、映画制作に熱い情熱を秘めるロマンチスト。
遠藤 薫子えんどうかおるこ: 完璧なあざと可愛さを装うが、実は特撮映画を愛し監督を目指す論理的な野心家。

【場面設定】ここあん大学の自主映画サークル「アーヌエヌエ」の部室。 部員の恋流波陽が、ページが黄色く変色した単行本を読んでいる。そこへ、岸辺義道が入ってくる。


岸辺義道:お疲れさんまの塩焼き定食。陽、何を読んどるんや。ずいぶん古い本やな。

恋流波陽:やなせたかしのあんぱん定食。

義道:あんぱん定食? ちゃうやろ。関東人はぼけんでええねん。

陽:ちょんまげ生えるわ。これ? 親父の本棚から持ってきたんだ。ウディ・アレンの『羽根むしられて』。1980年あたりに出版された単行本だよ。

義道:ウディ・アレンか。バッド・ニュース。俺は機材の整理があるから、また後で来るわ。

(義道が踵を返してドアに向かう。陽は椅子から立ち上がり、義道の腕を掴む)

:待て。バッドニュース・アレン。批評眼が鋭いお前が、アレンの名前を聞いて退散するのは間違っている。ノア・バームバックやグレタ・ガーウィグだって、彼の作り上げたニューヨークの会話劇から決定的な影響を受けてるのは常識だろ?

義道:理屈は知っとる。やけど、あの監督の映画は、登場人物が常に神経症みたいに早口で喋り続けとって、字幕を追うだけで疲労するんや。だいたい、静的で美しい映像を撮ることにこだわる俺からすれば、台詞で全部説明しようとする姿勢はしんどいんや。

:そこなんだよ。映画の字幕では、文字数の制限があるから情報量が多すぎてギャグの真意が欠落する。でも、この本は違う。伊藤典夫や浅倉久志といった翻訳家たちが、あの異常な早口と教養のひけらかしを、見事な日本語の活字に定着させている。映画館でマーシャル・マクルーハンの名前を唐突に出されても観客は戸惑うだけだが、本なら自分のペースで読めるし、意味を咀嚼できる。

(そのとき、現役メンバーの遠藤薫子が部室に入ってくる)

遠藤薫子:(媚のある声で)陽先輩の言うことも一理ありますよ。

義道:薫子ちゃんか。聞いてたの、いまの話。

薫子:廊下まで先輩たちの声が。それに、面白そうな話は、わたし、耳がきくんです。

:ミミガー。

薫子:(陽を無視して、続ける)私たちも脚本を書くときは、論理的な矛盾がないかテキストで推敲するじゃないですか。それに、昔の特撮映画、『電送人間』なんかを見ても、現在の技術では作れない昔の映画の熱量やアイデアが直接伝わってくる部分があります。ウディ・アレンのギャグがテキストという制約の中でどう成立しているかを知るのは、悪くない作業だと思います。

義道:薫子まで陽に賛同するんか。で、その本には何が書いてあるんや。

:たとえば、「もしも印象派の画家たちが歯科医だったら」って設定のコントがある。ゴッホが弟のテオに「今日、患者の歯を抜いてやったが、黄色が足りない」と手紙に書くみたいな話。

義道:なんやそれ。完全に不条理なナンセンスやないか。

:そうだよ? 映画特有の街の風景やジャズの音楽がノイズにならない分、彼の書く文章の純粋な狂気が直接伝わってくる。当時のアメリカの強迫観念やセックスへの執着も、活字で読むとただの優れたブラックジョークとして成立している。

薫子:なるほどぉ。視覚情報を削ぎ落として、純粋な論理とアイデアだけを残した状態のウディ・アレンですね 。義道……先輩、少し勉強になるんじゃないですか?

(二人きりの時は彼を呼び捨てにする関係性を築いている彼女が 、面白そうに義道を促す)

義道:まあ、字幕の制約と映像の情報を削ぎ落とした状態のウディ・アレンか。少し興味が湧いてきたわ。

:よし。じゃあ、まずはこのページを朗読するから、そこに座り直せ。

義道:朗読は勘弁してくれや。

薫子:くれや。

(幕)

作・千早亭小倉

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