【登場人物】
朝霧 沙緒:常盤荘に住む天才作家。世界のすべてを退屈だと言い切る倦怠のミューズ。
鴨下 栞:大家の娘。人形のように整った顔立ちで、すべてを見透かす冷たい瞳を持つ。
【場面設定】
夕暮れ時、常盤荘の共同炊事場。沙緒が古いガスコンロで湯を沸かしている。

沙緒:このコンロ、機嫌が悪すぎるわ。火がつくまで三回も騙された。
栞:お湯、何に使うの。
沙緒:カップ麺。それ以外に何があるっていうのよ。
栞:不健康だね、ダバダちゃん。
沙緒:……? ……ん? ……ちょっと待って。今、なんて呼んだの。
栞:ダバダちゃん。前の夜明けに、自分でそう歌っていたじゃない。
沙緒:あれはスキャットよ。名前じゃないわ。それに、その響きはやめて。
栞:どうして。リズムがあって、可愛いのに。
沙緒:この村にはね、「ダダダさん」っていう、すべてを肯定してくる恐ろしい生き物がいるのよ。
栞:知ってる。何を聞いても「ほんとだねー」って笑うおじさんでしょ。
沙緒:そうよ。私の「ダバダ」が、あんな思考停止の真空と一緒にされるなんて、作家としての死だわ。
栞:一文字しか違わないよ。ダダダとダバダ。兄弟みたい。
沙緒:全然違う。あちらはただの意味の消滅点。私は、世界の退屈を音にしているの。
栞:でも、外から聞いたら同じだよ。濁った音が続いて、最後が跳ねるだけ。
沙緒:言葉を扱う人間なら、その一文字の深淵に気づきなさいよ。
栞:深淵なんてないよ。ただの空気の振動。ねえ、ダバダちゃん。
沙緒:……(ため息をつき、沸いた湯をカップに注ぐ)もういいわ。勝手に呼びなさい。
栞:あ、三分経つ前に開けちゃダメだよ。
沙緒:わかってるわよ。この待ち時間こそが、人生で一番無駄で、一番「ダバダ」な瞬間なんだから。
栞:今の、ちょっとダダダさんっぽかったね。
沙緒:……。
(幕)
作・千早低小倉
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/04/20260410_125128.jpg)

