これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
コンテナの留め具を確認し、撤収作業の仕上げにかかっていた時だった。西日の射す通学路の向こうから、ランドセルが揺れる音が近づいてきた。
「おしゃべり、みちくさ、ものがたり?」
たどたどしく読み上げる男の子の声。手を止めて振り返る。ずっと離れたところをうろうろ蛇行するように歩いてくる3人組。ロマコメ号のボディに描かれた、決して大きくはないロゴタイプを、あんなところから読めるんだ。
「ねえ、みちくさって、なに?」
女の子の声が、風に乗って鼓膜にしっかり届く。
道草――目的地へ向かう途中、他のことに時間を費やすこと。非効率。以前の私なら、その言葉を「いけないこと」として処理していただろう。最短距離で目的地に着くことが、正しい運行計画だと信じていたから。
A.A.ミルンの『クマのプーさん』を思い出す。クリストファー・ロビンが一番好きなこと。「何もしないこと」。そこへ行く途中の、名付けようのない時間こそが、あのお話のすべてだった。
「みちくさ」とは、無駄な時間のことではない。「物語」が生まれるための、もっとも肥沃な土壌のこと。子どもたちの声は、笑い合いながら遠ざかっていく。
私は手にしていた雑巾で、ボディに書かれた「みちくさ」の文字の上を、そっと拭った。跳ね上げた泥の小さなしみが、「く」の文字の払いの部分にこびりついている。きれいに拭き取る手が一瞬止まる。この泥汚れは、ロマコメ号が今日一日、村の中をあちこち走り回ってしてきた、愛すべき「みちくさ」の証拠みたいだ。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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