箱庭コント「四角い丸」

【登場人物】
氷上 静
:現代思想家。ブックカフェ「シズカ」オーナー。事象を論理や構造で解体しようとする。
辻 さゆり:フリーランスの校正者。感情やノイズを排し、事実と整合性のみを愛する「言葉の外科医」。
中野 小春:静のブックカフェの共同オーナー。静のパートナー。嘘や建前を直感で感じ取る受容の器。

【場面設定】
午後のブックカフェ「シズカ」。カウンター席で辻さゆりが単行本(海外ドラマのうんちく本)を読んでいる。カウンターの中、さゆりの向かいに、氷上静。奥では中野小春がドリッパーの洗浄をしている。

辻さゆり:(文庫本を読みながら)ふふっ。

(辻さゆりと氷上静の目が合う)

氷上静:楽しそう。

さゆり:いま、「丸く収める」って言葉が出てきて、最近、この言葉を聞かなくなったなって。

:確かに。社会の表層からめっきり姿を消した慣用句のひとつね。

さゆり:(文庫本に視線を落とし)現代のビジネスの現場では、「論理的に解決する」や「透明性を担保する」ことが求められるから、それが、文章にも反映されるようになったのかしらね。

:「丸く収める」は、かつては、共同体の調和を示す美しい概念だった。でも今は、本質的な対立を避けるための欺瞞や、不都合な事実の隠蔽を暗喩する言葉に成り下がっている。

さゆり:事実の隠蔽はコンプライアンス違反ですから。発覚した場合に作成される謝罪文の校正という無駄な業務が増えるので、推奨できません。

:(さゆりの顔を興味深げに覗く)それはそう。隠蔽は論外。それより、いま実存的な恐怖に気づいてしまった。言葉の構造的欠陥よ。「丸く収める」と「八方塞がり」。この二つは、対極の顔をした同義語だということに。

さゆり:「円満な解決」と「打開策がない状態」ですね。意味論的に全く異なります。

:違うの。空間的な構造を想像してみて。事象を「丸く」収めるということは、周囲を360度、隙間なく円で囲い込むということよ。つまり、丸く収めた瞬間、私たちはすでに全方位を塞がれた結界の中にいる。まさに八方塞がりよ。

さゆり:静さん。慣用句の抽象的な概念を、三次元の幾何学モデルに強引に変換しないでください。論理が飛躍しています。

:飛躍はしていないでしょう。「いやあ、丸く収まって良かった」と安堵していたあの和やかな空間は、実は全員が円環の檻に閉じ込められた、逃げ場のない密室だったのよ。それは、息苦しいはずだわ。

さゆり:そんなうれしそうに語られても困ります。静さんの言う通りなら、これからの社会は物事を丸く収めず、どうすべきだと?

:あえて角を立てるのよ。どこかに鋭角な部分を作って、関係性の境界に破綻を生じさせないと、私たちは同調圧力という名の円の中で窒息してしまうわ。

さゆり:社会活動において常に角を立てる人物は、単なるコミュニケーションのエラー要因です。周囲から即座に排除されます。

:では、せめて「四角く収める」のはどう? 四隅に角がある分、円よりも外部と接続する余白がある気がしない?

さゆり:幾何学的に反証します。四角形は平面充填(テセレーション)が可能な図形です。むしろ外部への逃げ場は完全に失われます。

:隙間なく無限に敷き詰められてしまう……というならば、八角形はどうかしら。正八角形なら敷き詰めたときに必ず正方形との間に隙間ができるわ。

さゆり:八角形は円への近似度が高まるだけですよ。内角が広がる分、静さんの嫌う「同調圧力の円」に近づいていって、息苦しい檻が生まれるだけです。

:(コーヒーを一口すすり、遠い目をする)現代社会の幾何学は、本当に息が詰まるわね。

さゆり:氷上さんの無駄な空間認識のせいで、余計に息苦しくなっただけです。さてと、そろそろ、私は編集プロダクションに戻ります。

(さゆりが帰り支度を始めたとき、カウンターの内側で作業を終えた中野小春が、顔をのぞかせる)

中野小春:そんなに綺麗に「丸く収め」なくても。

さゆり:(手を止め)丸く収める? 氷上さんと私は、その概念の構造的欠陥を指摘し合っていただけです。

小春:でも、さっきから難しい言葉で言い合っていたのに、最後は「息が詰まるね」って同じ結論に形を揃えて、綺麗に話を丸く収めて終わろうとして……。

:小春……っ。

小春:本当に息が詰まっているなら、もっと言葉の形がいびつになったり、話が嚙み合わないまま終わったりしてもいいのに。見えない丸い檻を自分たちで作って、その中でお行儀よく並んで座っているみたい。

(静とさゆりはハッとして、互いの顔を見合わせる。二人の間にあった見えない緊張の糸が、ふっと緩む)

小春:あ、ごめんなさい。私、変なこと言っちゃいました?(きょとんとして、目を瞬かせる)

:(深く息を吐き出し、憑き物が落ちたように微かに笑う)見事な観測よ、小春。どうやら私とさゆりさんは、自分たちが批判していた「丸く収める」という密室を自分たちで構築していたようね。

さゆり:(小さく息を吐く)ええ、無意識ではあるけれど。不毛な同調圧力という円環に、自ら囚われていましたね。小春さんのおかげで、少し風穴が開きました。心なしか、呼吸が楽です。

:さて、それなら、さゆりさん、あの「四角い」雑居ビルのオフィスに戻るのは、もう少し後にしたら? 息苦しかった幾何学を壊すために、形のないものを胃に入れたくなったわ。

さゆり:(カバンから手を離し、静かに座り直す)異存なしです。私も、予定調和を崩すための水分補給に賛同します。

小春:(ぱあっと顔を輝かせ)はい! じゃあ、熱くて形のないコーヒー、すぐに淹れ直してきますね!

(幕)

作・千早亭小倉

[コント台本・小説450本以上]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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