【登場人物】
堂島 巧:ここあん高校文芸部員。物語の空間的・物理的整合性を至上とする空間分析家。
ケイヨウ:元文芸部員。現象をやたらと長く詩的に描写する耽美主義者。
東山 キイロ:喫茶「小古庵」のアルバイト。没落したお嬢様。持ち前の陽気さと直感で、インテリたちの複雑な論理を無効化する。
【場面設定1】
巨大塔「ペンタ」下層階にあるここあん高校の空き教室。堂島巧が机に広げた原稿用紙を読んでいる。その向かいで、ケイヨウが自信ありげに腕を組んでいる。

堂島巧:ケイヨウ、君の原稿を最後まで読んだ。
ケイヨウ:どうだい。主人公が窓辺で孤独を噛み締めるシーン。揺らぐ煙の描写から、彼が抱える実存的な苦悩が読み取れるだろう。この行間に漂う深い哀愁を感じてほしい。
堂島巧:行間を読む前に、まず文字を読め。
ケイヨウ:なんだと。
堂島巧:君が書いた文字の話だ。一行目、「彼は重いオーク材のドアを開け、そのまま南向きのバルコニーに出た」とある。
ケイヨウ:ああ。光を求める魂の飛翔を表現した。
堂島巧:だが、三ページ目の描写によれば、彼はホテルの地下二階にあるワインセラーに閉じ込められている。地下二階にバルコニーは存在しない。
ケイヨウ:それは魂のバルコニーだよ。
堂島巧:そして四行目、「手すりに寄りかかり、眼下に広がる街の灯りを見下ろした」。地下二階から街の灯りを見下ろしている。彼はマントルを透視しているのか。
ケイヨウ:比喩だ。彼の精神的な視座の高さを表しているんだ。
堂島巧:さらに十行目。「右頬を撫でる冷たい北風に、彼は目を細めた」。
ケイヨウ:完璧な描写だ。
堂島巧:彼は南向きのバルコニーにいる。北風は背後から吹くはずだ。右頬を撫でる風は、西風になる。
ケイヨウ:風向きなど些細な問題だ。
堂島巧:大問題だ。空間の設計図が完全に破綻している。君の描写に従えば、主人公は今、ホテルの地下二階にある存在しないバルコニーの壁にめり込みながら、地殻を透視し、あり得ない角度から風を受けている。これは純文学ではない。完全な密室ホラーだ。
ケイヨウ:君は文学の魂というものを全く分かっていない。
堂島巧:君こそ物理法則を分かっていない。主人公がコンクリートの壁にめり込んでいる状態では、読者は彼の孤独よりも骨折を心配する。
ケイヨウ:描写の整合性など、行間の美しさの前では無意味だ。
堂島巧:文字が空間を成立させていない以上、行間はただの空白だ。書き直せ。地下二階から出たければ、まず階段を上る描写を入れろ。
(堂島が原稿用紙をケイヨウの前に突き返す。ケイヨウは言葉に詰まり、原稿用紙と堂島を交互に見つめる)
(場面設定2へ続く)
【場面設定2】 路地裏にある喫茶「小古庵」。堂島巧とケイヨウがテーブルを挟み、原稿用紙を前に白熱した(噛み合わない)議論を続けている。
堂島巧:……だから、何度でも言う。君の主人公は今、ホテルの地下二階にある存在しないバルコニーの壁にめり込みながら、地殻を透視して街の灯りを見下ろし、あり得ない角度から北風を受けている。文字が空間として破綻している以上、君の言う「行間」は機能しない。
ケイヨウ:君は文字の表面しか撫でていない。これは魂のバルコニーであり、彼の精神的な視座の高さを表す究極の修辞なのだ。物理的な骨折など、文学の深淵の前では……。
東山キイロ:(お盆にコーヒーを乗せて、軽快なステップでテーブルに現れる)お待たせしました! 小古庵ブレンドです。あの、いいですか? ケイヨウさんが考えたお話の主人公さん、コンクリートの壁にめり込んでるんですか? すっごく面白いですね!
堂島巧:面白くはない。これは致命的な空間設計のエラーだ。
ケイヨウ:キイロさん。これは面白いのではなく、深い哀愁と実存的な孤独の表現であって……。
キイロ:(二人の言葉を遮り、目を輝かせて)だって、地下二階にいるのに、高いところから街を見下ろしてて、右頬に北風を受けてるんですよね? それってつまり、主人公の体が「ホテルそのもの」になっちゃったってことじゃないですか!
堂島・ケイヨウ:……は?
キイロ:体がコンクリートと同化して、建物全体が主人公になったんです。だから、地下二階のワインセラーに心臓がありながら、南向きの高層階のバルコニーの目線も持ってる。
堂島:それでは、北風問題はどうする。南を向いていて、右頬に当たるのは、西風だろう。
ケイヨウ:いや、そこは北風という孤独のメタファーが肝心な場面だ。
キイロ:そのホテル、四角じゃなくて「三角形」なんですよ!
堂島:三角……。
ケイヨウ:形?
キイロ:そうです。ホテルの形が上から見て三角形だとしたら、南を見ている「右頬」の壁は斜めになってますよね。そこに北北西の風が吹けば、ちょうど右頬に当たりますね!
堂島巧:(眼鏡の奥の目を見開く)……意識の拡張と、巨大構造物との完全な一体化。……多点的な空間認識を獲得していると仮定し、さらに建造物の平面形状を鋭角な三角形構造、風向を北北西と補正すれば……地下と高層階の視界の混在も、風圧の角度も……すべて論理的な物理ベクトルとして完璧な整合性が取れる……!
キイロ:(聞いてないが)ですよね! だから彼は、ホテルの壁として身動きが取れないまま、街の灯りをずーっと見つめてるんです。自分は動けないのに、お客さんはどんどん出たり入ったりする。すっごい哀愁! 究極の孤独ですね!
ケイヨウ:(震える手で自分の原稿を見つめ直す)肉体を失い、巨大な三角形の無機物として都市の孤独を永遠に定点観測する実存的悲哀……。なんという前衛的で、圧倒的な詩の境地……。私の無意識は、そこまでの深い修辞を孕んでいたというのか……!
堂島巧:(手元のノートに猛烈な勢いで三角柱の図形と数式を書き込み始める)ただの密室ホラーが、一瞬にして完璧な建築学的SFへと昇華された。キイロ、君の空間把握能力は次元を超越している……!
ケイヨウ:行間を読むどころではない。君は、私の魂のさらに奥底にある「真実の景色」を翻訳してくれたのだ……!
キイロ:(空いたお盆を抱え、満面の笑みで)ふふっ。でも、建物になっちゃったらコーヒー飲めなくて可哀想ですね。あとで雨樋から、ハチミツたっぷりのコーヒーを流し込んであげますか!
(堂島とケイヨウは完全に言葉を失い、深い感嘆とともにキイロの背中を見送る。キイロは鼻歌を歌いながら厨房へと戻っていく)
(幕)
作・千早亭小倉





