コント「萌えろニューロマンサー」

【登場人物】
聖 林太郎
:ここあん大学の自主映画サークル「アーヌエヌエ」所属。ロマンチックコメディの制作に苦悩する。
岸辺 義道:同じく「アーヌエヌエ」所属。斜に構えたカメラマン志望。芸術と映像美を至上とする。
遠藤 薫子:同じく「アーヌエヌエ」所属。古い特撮映画を愛する、論理的で野心的な新入生。

【場面設定】
ここあん大学、自主映画サークル「アーヌエヌエ」の部室。機材と過去の資料が雑然と積まれている。

岸辺義道:(パイプ椅子に深く腰掛け、ペーパーバックの表紙を指で弾く)ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』。1984年、約40年前に書かれた小説や。この時代にサイバースペースという概念を生み出し、ネットワーク社会の絶望を描き切った。これが真のクリエイターの仕事というもんやな。

聖林太郎:(長机の上に広げた古びた原稿用紙の束を見つめ)1980年代半ば? 約40年前か。

義道:そうや。時代を先読みする鋭敏なアンテナ。圧倒的なイマジネーション。俺たち表現者が目指すべき極北がここにある。

林太郎:(原稿用紙を一枚めくる)それに比べて、俺たちがこれから映画化しようとしているこのシナリオ。同じ40年前の産物なのに、主人公のできそこないの吸血鬼が、男の首筋をただ「カプッ」て噛むだけの話だぞ。しかも血は吸わない。

義道:(鼻で笑う)比べること自体が間違いやろ。こっちは文学史に残る金字塔。お前の抱えているのは、早稲田のシナリオ研究会の習作みたいなもんやろ。書道とお習字を一緒にするようなもんやな。

遠藤薫子:(部室のドアを開けて入ってくる。手にはペットボトルの炭酸水)でも、私はその「カプッ」も、映像作品としての強度は負けてないと思いますよ。

義道:薫子ちゃん。君の特撮好きは認めるが、さすがにそれは『ニューロマンサー』に対する冒涜やぞ。

薫子:冒涜じゃありません。(炭酸水のキャップを開け)ギブスンが描いた冷たい電脳空間も、結局は当時のオタクたちの「こういう世界があってほしい」という欲望をハッキングして成功したわけですよね。だったら、首筋を甘噛みして相手を変身させる小春ちゃんの能力も、ある種の読者の脳内を直接ハッキングするシステムとして、非常に理にかなっています。

林太郎:なるほど。小春ちゃんの「カプッ」は、サイバースペースへのダイブと同じだったのか。

義道:アホか! どこがやねん! ただの時代遅れのラブコメやろ。

林太郎:書いた本人は、早すぎた萌えって言ってたけど。

義道:知るか。俺のカメラは、そんな生ぬるい甘噛みを撮るためにあるんやない。もっとこう、人間の根源的な孤独とか、魂の軋みを映像として切り取るために……。

薫子:義道先輩。その「魂」とか「孤独」っていう言葉、クリエイターが具体的な説明から逃げる時の定型文クリシェですよ。

義道:なっ……、人をそないティッシュみたいに言うなや!

薫子:でも、その『ニューロマンサー』の原書、さっきから表紙を眺めているだけで、一ページもめくっていませんよね。

林太郎:(義道の手元を見る)本当だ。お前、それ読めないのか。

義道:(本を慌てて机に伏せる)違うわ! これは、装丁のデザインから当時のサイバーパンクの空気感を、俺の脳内にインストールしてる最中なんや!

林太郎:インストールって。お前、USBポートでもついてるのか。

薫子:本も読まずに雰囲気だけ取り込もうとするなんて。「カプッ」と噛んで魔法の変身を期待する、この昭和のシナリオを、どの口でけなしてるんだか。

義道:俺のは芸術的なアプローチや!

林太郎:芸術的なアプローチで、本から空気を吸い込むのか。40年前のシナリオをバカにしながら、やってることはそれ以下のオカルトだ。

義道:うるさい。俺は今、サイバースペースに接続中なんや。邪魔すな。

(そこに、部室のドアを無駄に勢いよく開けて、権田猛が入ってくる。「アーヌエヌエ」の老害OBであり、ここあん大学大学院で技術地政学と未来学を専攻中。権田は、着古したミリタリージャケット姿)

権田猛:お前ら、分かってないな。

林太郎:げっ……権田先輩。

:(義道の手元のペーパーバックを一瞥し)『ニューロマンサー』か。

義道:ええ、いま、この装丁について語り合ってたところです。

薫子:義道先輩が、本編に進まないから、表紙で話が止まってます。

:装丁か。それは……悪くはない。

(義道、林太郎、薫子は「え?」という顔)

:『ニューロマンサー』だろ? 俺なら、カバーは奥村靫正の1986年邦訳版一択だけどな。

義道:翻訳? 俺は原書の空気感を……。

:馬鹿野郎。1986年という冷戦末期に、あのバキバキのアバンギャルドなカバーデザインで日本にサイバースペースという概念が登場したんだ。その「地政学的かつ文化的衝撃」ごとインストールしなきゃ、クリエイターとして何の意味もないんだよ!

義道:ち、地政学的衝撃……!

(薫子がスマホで、『ニューロマンサー』の表紙画像を見つけ、林太郎と「あ、見たことある」という顔になる)

薫子:(炭酸水を一口飲み、冷静に)権田先輩。その1986年の邦訳、先輩は最後まで読んだんですか?

:(一瞬、言葉に詰まる)え、今は表紙の話だろ? あの表紙だけで、40年後の未来、つまり現在の地政学的リスクというご飯が3杯はいけるぞ。

林太郎:結局、どっちも読んでないんか。

:一緒にするな! 俺のは未来学的な観測だ!

義道:俺のは芸術的なアプローチや!

薫子:(呆れたように二人を見て)40年前の『小春ちゃん』のシナリオの方が、よっぽど中身が詰まってる気がしてきました。

権田・義道・林太郎:それは絶対にない!

(幕)

作・千早亭小倉

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