コント「ちゃぷちゃぷ合戦」

●前段

【登場人物】
岸辺 義道: ここあん大学生。映画監督志望。ボラン京子の「でちゅまちゅ」音声が持つ不条理な芸術性に脳を焼かれながら、編集に没頭している。
遠藤薫子:ここあん大学生。義道のサークルの後輩。あざと可愛いさと特撮好きの素養(?)をあわせ持つ。二人きりの時は義道を呼び捨てにする。

【場面設定】
ここあん大学早稲田サテライトキャンパス、地下ラウンジ。義道がヘッドホンを装着し、ノートPCで「雨の石畳」の映像に例の幼児退行音声をリアルタイムで合わせ、ニヤニヤと恍惚の表情を浮かべている。

遠藤 薫子:(背後から足音を立てずに近づき、義道の肩を後ろから覗き込む)義道、何ニヤニヤして画面見てるの。

岸辺 義道:(びくっと飛び上がり、ヘッドホンを外す)か、薫子か。びっくりさせるなや。今、映画の命運を握る世紀の編集作業中や。

薫子:世紀の編集?(義道の耳からヘッドホンをひったくり、自分の耳に当てる)

音声(PCから漏れるボラン京子の声): 「ママ、フィディちゃんのことだーいしゅきでちゅよお! ちゅっちゅっ!」

薫子:(真顔になり、ヘッドホンをデスクに置く)誰、これ。ものすごく格式の高いアルトボイスで、もの凄く脳の溶けた幼児退行を囁いてるんだけど。

義道:ボラン先生や! この前、うちの寺でやった「グリーンコンサート」の後、俺は奇跡を目撃したんや。完璧な美意識を持つ元オペラ歌手が、愛犬の前で見せた絶対的な崩落! この「でちゅまちゅ」を雨の石畳の映像に乗せると、意味が剥奪されて不条理の限界を突破する。これこそ本物の前衛や!

薫子:(腕を組み、冷ややかな視線を義道に向ける)なるほどね。威厳ある芸術家の幼児退行というノイズを、そのまま前衛芸術としてハッキングしたわけだ。

義道:お、分かってくれるか?

薫子:分かるよ。だってそれ、完全に『ウルトラセブン』の文法だもん。

義道:セブン?

薫子:そうだよ。実相寺昭雄監督の演出、あるいは異星人の不条理な侵略シーンに、あえて重厚な交響楽やクラシックを重ねることで生まれる、あの奇跡の邂逅。本来交わるはずのない「格式高い芸術」と「異形の不条理」が衝突した瞬間、映像の品格が異常な跳ね方をする。義道がやってることは、その逆位相の狂気だよ。

義道:(目を見開く)せ、セブン……! 言われてみれば、この圧倒的な違和感と寒気は、実相寺監督のカメラアングルに通じるものがあるかもしれん……。薫子、お前やっぱり鋭いな!

薫子:(PCの画面をじっと見つめて)でも、ねえ、もしかして、ボラン先生の音声、義道の映像の雨音にシンクロしないんじゃない? どうしても。

義道:(ハッとしてがっくりと肩を落とす)そうなんや! お前なんで分かったんや。ピッチの調整をいくらやっても、波形をいじっても、どうしても上手くはまらんのや。「でちゅでちゅ、ちゅっちゅっ」の狂気が、「ぴちぴちちゃぷちゃぷ」にどうしてもハマらん……!

薫子:それは、先生の声が犬に向けられてるからよ。

義道:犬に……?

薫子:レオンベルガーのフィデリオくんでしょ、有名だもの。先生の全神経は、体重何十キロもあるあの大型犬を受け止めるために最適化されてるの。だから声の指向性と音圧が、雨の石畳っていう静謐な空間に対して強すぎるんだよ。つまり、波長が「対・大型犬用」になってるの。

義道:(愕然とする)たいおおがたけんよう! だ、だから、この雨音の情緒に馴染まんと、浮き上がってまうのか!

薫子:(義道の椅子の横に回り込み、顔を近づけてふっと微笑む)そんなよく知らない人の犬用の声、もう諦めなよ。この作品に必要なのは、もっと繊細で、雨の粒を一つずつ愛おしむような、計算されたノイズでしょ?

義道:計算されたノイズ?

薫子:(あざとく小首をかしげ、義道の耳元で完璧な響きと音量にコントロールされた囁き声を出す)私が最高の「ぴちぴちちゃぷちゃぷ」、囁いてあげるから。

義道:(耳を押さえて顔を赤くし、のけぞる)か、薫子……!

薫子:(いたずらっぽく笑って)私なら、義道の撮った雨の映像のピッチに、ヘルツ単位で完全にシンクロさせてみせるよ? だって、私は義道のために声を出すんだから。

義道:(完全にドギマギして、ノートPCを抱え込むようにしながら)お、おう……。じゃあ、ちょっと試しにマイクのテストからしてみるか?

薫子:(満足げに頷いて、いつものあざとい笑顔に戻る)うん! じゃあ監督、録音ボタン押して?

(幕)

作・千早亭小倉

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