コントパターン:6「賢者の自壊」
【登場人物】
氷上 静:ここあん湖畔のブックカフェ「シズカ」オーナー。あらゆる事象を言葉で分析しようとする現代思想家。
中野 小春:「シズカ」の共同オーナー。静のパートナー。物事の本質を、言葉以前の「気配」で感じ取る。
徒然士: 文芸評論家。完璧な様式美と正しい定義を何よりも重んじる。
【場面設定】
秋の穏やかな午後。災害で生まれた湖のほとりに佇むブックカフェ「シズカ」のテラス席。 目の前には、葦の揺れる水面が広がっている。静と小春が静かにお茶を飲んでいると、徒然士が少し不機嫌な顔でやってくる。

徒 然士:やあ。君たちの店は、相変わらず静かで結構だが(目の前の水面を顎でしゃくり)どうにも、あれが気に入らん。
氷上 静:あれ、とはこの湖のことですか?
徒然士:湖! それだよ、静くん。人々はあれを安易に「湖」と呼ぶが、その定義的根拠はどこにあるのかね? 水深、面積、生態系。どれをとっても「池」、あるいは植物の繁茂具合からすれば「沼」と呼ぶのが、様式美として正しいのではないかね?
静:(面白そうに目を細め)先生は、まず言葉の定義から世界を構築なさるのですね。ですが、その「正しさ」とは、一体誰が保証するのでしょう。
徒然士:決まっているだろう、学術的な分類だよ! 名を与えられぬ事象など、存在しないも同然だ。実に、野暮の極みだ!
中野 小春:(二人のカップにそっとお茶を注ぎ足しながら)でも、お日様の光は、湖とか、池とか、名前を気にしないで、同じようにキラキラしてますね。
徒然士:(小春を一瞥し)小春くん、それは詩であって、議論ではない。
静:いいえ、先生。小春の言うことこそ、本質かもしれません。我々が「あれは湖である」と認識し、その認識を共有した瞬間に、それは「湖」という現象として立ち現れる。学術的な分類など、その現象を後から説明するための、便宜的な括弧書きに過ぎません。
徒然士:括弧だと!? 言葉の秩序を軽んじるのかね! それでは、この世の全てが個人の主観という名の混沌に堕ちてしまうではないか! これはプリンが社会の縮図だと言うのと同じくらい、暴論だ!
静:混沌、結構ではありませんか。先生の愛する様式美とやらも、元をたどれば混沌から生まれた、恣意的な秩序の一つに過ぎない。我々が今見るべきは、名前ではなく、名付けられる前の、ただそこにある「水たまり」そのものでは?
徒然士:み、水たまり! あれが、水たまり!
(議論が白熱しかけた、その時)
小春:(水面を眺めながら、ぽつりと)夏の間、あそこでずっと鳴いていたカエルさん、どこへ行っちゃったんでしょうね。
静:……。
徒然士:カエル?
小春:ええ。きっと、もっと温かい泥の中で、春を待ってるんですね。名前も知らない、小さなカエルさんですけど。
(小春の言葉に、二人の哲学者の言葉が、ふっと行き場をなくす。静は面白そうに小春を見つめ、徒然士は何か言いたげに口を開きかけては、結局、ぐっと黙り込んでしまう)
静:ねぇ、先生。そのカエルは、湖と沼、どちらの住人だったのでしょう?
徒然士:(心底不愉快そうに、しかし反論の言葉が見つからず)知らん!
(徒然士は、やけくそ気味にお茶をすする。湖とも池とも沼ともつかない水面を、秋の風が静かに渡っていく)
(幕)
作・千早亭小倉






