【登場人物】
朝霧 沙緒:椎名町三丁目の文壇アパート「常磐荘」に暮らす小説家。世界のすべてを退屈と捉える、けだるい悲しみのミューズ。
相田 ミキ:きさらぎタウンの主婦。相手の拒絶や抽象的な言葉を、超・具体的な日常のミッションに強制変換して巻き込む天然のトリックスター。
【場面設定】
きさらぎタウンにある「微笑書店」のカフェコーナー。朝霧沙緒が窓際の席に深くもたれかかり、気だるげに窓の外を見ている。そこへ相田ミキが、大量のレシートが入ったクリアファイルを持って、同じテーブルの向かいに座る。

相田ミキ:失礼しますね。ここ、窓からの風通しが「仕分け作業」に最高なんです。
(ミキ、テーブルに大量のレシートの山を広げ始める)
朝霧沙緒:別の席に行ってくれないかしら。私は今、この新興住宅街の凡庸な景色の中に、自分の中の空虚を少しずつ沈殿させているところなの。誰とも関わりたくないわ。
ミキ:沈殿! ちょうどよかったです。
沙緒:何が?
ミキ:今からこのレシートを「食費」と「日用品」に分類するミッションに入るんですが、風通しが良いので紙が飛んでしまうんです。あなたがそこで重々しく「沈殿」してくれると、このテーブル周辺に絶妙な重力が発生して、見事に紙が安定するんです。最高のペーパーウェイトです!
沙緒:私の実存的な空虚を、文鎮代わりに使うの。
ミキ:はい! 重要な共同作業者です。もうちょっとだけ、眉間にシワを寄せて「沈殿」の強度を上げてもらえますか? その方が重力が安定します。
沙緒:呆れたわね。人間の絶望をそんな風に消費するなんて。どうせ誰も、私の魂の輪郭になんて触れられない。
(沙緒、ミキを無視して、「ダバダ、ダバダバダ」フランス映画のサントラのように気だるいスキャットを口ずさみ始める)
ミキ:わあ、素晴らしいです!
沙緒:私のアンニュイな旋律に、ようやく絶望の美しさを見いだせた?
ミキ:いえ! いまの「ダ」と「バ」のリズム、仕分けのテンポに完璧に合致しています! 「ダ」で1枚目、「バ」で2枚目。いきますよ? ダ、バ、ダァ、ダ、バッ、ダ。ダッ、バ、ダ、バ、ダァ。
(ミキ、沙緒のスキャットのリズムに合わせて、ただし、少しだけ自分流のクセを付けて、猛烈なスピードでレシートを左右に仕分け始める。シュッ、シュッという紙をさばく音がスキャットに重なる)
沙緒:ちょっと。何、何をしているの?
ミキ:あなたのBGMのおかげで作業効率が1.5倍にアップしました! さあ、もっと気だるく、でもテンポはキープでお願いします! 次は「交通費」の山も入るので、「シュバドゥバ」の「シュ」を混ぜてもらえると助かります!
沙緒:私のスキャットは、仕分け作業のメトロノームじゃないわ。だいたい、食費のレシートだけ山になってるじゃない。あなたの生活、偏りすぎよ。
ミキ:ああっ、ダメです! オーラが「沈殿」から「指摘」に変わったせいで、重力が乱れました! レシートが風に飛んでしまう前に、早く「ダバダ」に戻って沈殿してください!
沙緒:どうして私が、あなたの家計簿のために絶望し直さなきゃいけないのよ。
ミキ:あと3、40枚で終わります! ほら、ダ、バ、ダァ!
沙緒:ダ、バ、ダァ、ダ、バッ、ダ。シュッ、ヴァ、ドゥ、ヴァア。
(沙緒が深くため息をついて、乱れたスキャットを再開し、ミキが満面の笑みでレシートを仕分け続ける。静かなカフェに、気だるい歌声と紙の擦れる音だけがリズミカルに響いている)
(幕)
作・千早亭小倉




