【登場人物】
権田 猛:ここあん大学院生。技術地政学と未来学を専攻。日用品の価格から大国間の陰謀や歴史的背景を語るパラサイト。
しあんまぜんた:映像制作グループの美術担当。極彩色とサムネイルのインパクトに命を懸ける直情型の男。
【場面設定】
ここあん村のはずれにある大型ホームセンターの塗料コーナー。色とりどりのスプレー缶が並ぶ陳列棚の前。しあんまぜんたが、「インディゴブルー」のスプレー缶を棚から取り出し、キャップの色をじっと睨んでいる。

しあんまぜんた:違う。これじゃ無い感がすさまじい。これでは、スマホの小さい画面でスクロールする指をピタッと止めさせられない。もっと網膜を直接殴ってくるような、暴力的な「青」がいるんだ。
権田猛:(通りかかり、足を止めて眼鏡のブリッジを押し上げる)網膜を殴る青? 君が求めているのは、顔料でいうところの天然ウルトラマリン。当たりだろう?
しあんまぜんた:誰?(怪訝な顔で猛を見る)そうだよ、ウルトラマリン。フェルメールの青とか言われるやつな。
猛:ルネサンス期のヨーロッパにおいては、その青の原料となるラピスラズリは、アフガニスタンのバダフシャーン地方にあるたった一つの鉱山からしか産出されないとされた。それがシルクロードと海路という途方もないサプライチェーンを経てヴェネツィアに運ばれる。黄金と同等か、それ以上の価格で取引されたという、地政学的奇跡の結晶だ。
しあんまぜんた:詳しいな。(手にしたスプレー缶の握り心地を確かめるように、軽く向きを変える)鉱山の場所なんてどうでもいい。それより、当時の画家たちはなんであんなに高い絵の具を狂ったように使ったんだろうな。
猛:教会の権威と財力を誇示するためなんじゃないか? 交易ルートを独占していたヴェネツィア共和国の経済力を背景にしてさ。
しあんまぜんた:は? 逆じゃないの? 黄金より高い色をパトロンの金で使えるっていう、画家たちのドス黒い自己顕示欲だろ。
猛:自己顕示欲って。
しあんまぜんた:聖母マリアのマントにしか使っちゃいけないっていう宗教的な大義名分を盾にしてさ、「いやあ、これは神聖な主題ですから!」ってスポンサーに借金させてまで高い青を買わせて、画面の一番目立つところにブチ込む。高尚な信仰心? それとも、最高に荒い金遣いか? 人間のやることなんて、いつの時代も泥臭い見栄の張り合いだからな。
猛:(少し驚いたようにしあんまぜんたを見る)芸術家のインセンティブを、パトロンの資金調達と承認欲求の観点から解体するとは。君、ただの派手好き男じゃなさそうだな。
しあんまぜんた:派手好き男ってなんだよ。いまどきそんな柄シャツ着てる男に言われたくないよ。絵画なんて、締め切りと予算の制約のなかで、いかに自分をデカく見せるかの泥仕合だ。俺が動画のサムネで、1ピクセルでも派手な色を使おうと血眼になるのと同じだよ。
猛:やはり派手好きではあるのだな。気に入った。(棚にあるスプレー缶の成分表示を指でなぞる)言われてみれば、歴史上の傑作も、「サムネイルのクリック率」を上げるための生存競争の産物と同じか。しかし、現代のこのスプレー缶の青は合成ウルトラマリン、つまりフタロシアニンだ。19世紀にフランスのギメが人工合成に成功して以来、この青は地政学的な制約から完全に解放され、ホームセンターに並ぶ大衆の色に成り下がった。
しあんまぜんた:馬鹿言うな。おかげで俺みたいな金のない素人が、フェルメールと同じ色で小道具の塩ビパイプを塗れるんだ。
猛:どうだか。君が手にしているそのスプレーは税込み680円だ。背景の塩ビパイプを塗り切るのだけ、君の財布に余裕があればいいが。パトロンなど当然いないんだろう?
しあんまぜんた:(スプレー缶を振る手がピタリと止まる)マジか。このサイズじゃ2本しか塗れない。
猛:現代の合成顔料をもってしても、君の経済力という局地的なボトルネックは解消されないようだな。
しあんまぜんた:(舌打ちをしてスプレー缶を棚に戻し、最下段の198円の「水色」ラッカースプレーを掴む)これでいいんだ、これで。照明をガンガンに当てて、コントラストを力技で調整すれば済む。
猛:妥協が早いな。網膜を殴る暴力的な青はどうした。
しあんまぜんた:よく覚えてるな。気に入ったのなら、その言葉はお前にやるよ。
猛:要らん。論文の埋め草にもならん。
しあんまぜんた:予算感覚を忘れないのが現代アーティストだ。いや、昔の巨匠だって、金が尽きたら安い絵の具でごまかしてたはずだ。それがリアルな表現者の歴史ってもんだろ。
猛:それは、知らないよ。(軽く息を吐く)君のその泥臭い生存戦略、嫌いじゃない。僕も叔父のスーパーのバックヤードで、ネギを陳列する現実に戻るとするよ。
しあんまぜんた:お前に好かれても状況は変わらないが、お互いに底辺で足掻こうぜ。
(猛は踵を返して歩き出し、まぜんたは198円のラッカースプレーを握りしめてレジへと向かう)
(幕)
作・千早亭小倉




