これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。
三月の遠野は、カレンダーの数字ほどには春を感じさせない。雪解けが進むにつれて、庭の土は泥濘となり、湿った土と古い雪が混じり合った、この地特有の重たい匂いが鼻をくすぐる。
ここあん村の図書館から、菜箸千夏さんが訪ねてくるという。娘の楓子からその名を聞いた瞬間、私の心の中にある、もうずっと鍵をかけていた「引き出し」が、カタカタと静かな音を立てた。千夏さんとは、楓子を通じて一度か二度、図書館で顔を合わせたことがある。端正で、どこか自分を厳しく律しているような佇まい。彼女がこちらへ来ると知ってから、私は無意識に、あの東日本を襲った震災の後の、熱に浮かされたような日々を思い出している。
あのころ、最も輝いていた言葉は「絆」だった。けれど、私がボランティアとして、会議室や集会所の隅で聞いたのは「連携」や「情報共有」という、乾いた、けれど重たい響きの言葉だった。
小さな努力を積み重ね、点のような支援を繋いで線にし、それを面の広がりに変えていく。気を遣って、気を遣って。急いで、急いで。言葉で言うのは易しいけれど、現実はもっと泥臭く、もどかしかった。少しの失敗も許されない、そう思っていた。
ようやく「面」が見えてきたと思った矢先に、また別の会議で「そもそもはですね……」と、振り出しに戻されるような絶望感。あの停滞の中で、私はただ、自分が「前に向かっている」と信じ込むことで、自分自身の精神を繋ぎ止めていたのだと思う。
息を口から静かに吐き出す。吐き出した分だけの空気が、鼻から静かに入ってくる。
私はあの時、まだ五歳だった楓子を母のあやねに押し付けるように、使命感という大義名分を握りしめて東北に通い詰めた。自分が「部外者」であることを片時も忘れられず、相手を傷つけることを病的に恐れながら、笑顔の仮面を被って「連携」という時に温い水に浸かっていたのだ。
いま、遠野の冷たい空気の中で、かつて私が置いてきたここあん村の「現在」を背負った菜箸千夏さんがやってくる。彼女が守り続けている「秩序」は、あの日の私が必死に追い求めていたものなのだろうか。
窓の外、遠野のどんよりとした低い空は、今日も無口だ。開きかけた心の「引き出し」を、覗き込めずに立ちすくんでいる私がいる。
これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。
中野文
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