築四十年の木造アパート「メゾン干物箱」の二階には、昼下がり特有の、煮出したはぶ茶のような香ばしくて気怠い匂いが漂っている。
西日が腰をかがめて、破れた障子の隙間から差し込み、畳の上に細長い光の鍵盤を描く。
その光の上で、馬楼とひなが向かい合って座っている。二人の間には、商店街で買ってきたばかりの、まだ温かい天然物(?)のたい焼きが一匹、皿の上に横たわっていた。
「よく聞きな、ひな。一匹を二人で分ける。言葉にすりゃ美しい助け合いだが、これほど残酷な所業もねえ」
馬楼は、部屋着にしている色褪せた朱色の甚平の袖をまくり上げ、エア扇子でたい焼きの腹のあたりをなぞった。
「真ん中でちぎるってことはだ、こいつの『物語』を断ち切るってことだ。頭から尻尾へ流れるはずだった味のグラデーション、あんこの濃淡、皮の厚みの変化……それら一切合切『はい、こっちが頭、こっちが尻尾』と強制的にぶちっとな。俺たちは今、たい焼きという一つの宇宙を破壊しようとしてるんだぜ?」
「……で? ビッグバンしないなら、私が全部食べますけど」
ひなは、馬楼の講釈を右から左へ受け流しつつ、丁寧に消毒した指先でたい焼きの縁に触れた。熱さの確認というより、獲物の急所を探る手つきだ。
「早まるなぃ。俺が言いてえのは、この切断線にこそ、人間の業が出るって話だよ。脳みそたっぷりな『頭』を奪う強欲か、身の詰まっていない『尻尾』を甘んじて受ける自己犠牲か……。あるいは、尻尾のカリカリこそ至高だとうそぶいて、あえて貧相な方を選ぶ通人ぶった態度か。どっちに転んでも、ここには格差が生まれる」
「考えすぎです。単に、あんこが好きか、皮が好きかだけの話」
「それが浅いってんだよ。この分断は後戻りはできねえんだ。一度割っちまえば、もう二度と……」
「はい、不可逆」
ひなは馬楼が言い終わる前に、たい焼きの頭と尻尾を両手で持ち、迷いなくパカッと二つに割った。湯気と共に、甘いあんこの香りがふわりと二人の間に広がる。
「あっ! お前、俺の宇宙を!」
「私は通人ですから、カリカリの尻尾をいただきますね。はい、強欲な頭」
甘いものに目がないはずのひなだが、あんこがはみ出しそうな頭の部分を、馬楼の手に押し付ける。
「……一番いいとこじゃねえか」
「私は胸焼けするので、尻尾で十分なんです」
馬楼は、「俺に譲ったな」と言う言葉を、野暮だとすんでのところで飲み込んだ。
「へいへい、強欲で悪かったな」
ずっしりと重い頭の部分を、馬楼が口に放り込む。
「……熱っ、熱ぅっ」
「ふふ、猫舌」
ひなは尻尾の先を小さく齧り、カリッという軽快な音をさせて満足そうに目を細めた。
隣の部屋から、テレビのワイドショーの音がくぐもって聞こえてくる。
平日の午後三時。半分こになったたい焼きと、半分こになった罪悪感。世界で一番、生産性のない、けれど満ち足りた時間が、古びた畳の上をゆっくりと流れていった。
了
作・千早亭小倉
●馬楼とひなの物語(Kindle版)
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