(ゆっくりと客席を見渡し、にこやかに)
近頃はまことに便利な世の中になったもので、スマートフォン一つあれば何でもできます。テレビに映るQRコードも、スマホをかざせば情報が見られますものね。しかし、こうした文明の利器も、使い方を知らぬ者にはただの板切れ。ここのご隠居さんがまさにそれでして、この間も、それは奇妙な格好でテレビをご覧になっていまして……。
(少し身を乗り出し、険しい顔つきで、右下をじっと睨みつける仕草)
番組を見ているようにはとうてい思えない。画面の右下隅を、眉間に深ぁいシワを寄せて、もう食い入るように「ジーッ」と睨みつけてるんですね。鬼気迫るものがございます。そこへ、スマホが恋人の今どきのお孫さん、タカシくんがやってまいります。
タカシ「(ひょいと顔を出すような感じで)じいちゃん、何やってんのさ、そんなとこで。目、乾いちゃうよ」
ご隠居「(顔を動かさず、低い声で)タカシか、静かにせい。今、わしはこのテレビ局と戦っておる。黒黒と来て……」
タカシ「戦うって、なにを? チャンネル争い?」
ご隠居「(カッと目を見開き、タカシの方を向き)違うわ! このテレビがの、『続きは右下の「じじいの健康」で!』としきりに言うもんじゃから、こうして真剣に爺が見ておるのじゃ。黒黒黒白黒白……これは、囲碁で勝負を挑んできとるんか? わしが勝ったら、健康になる秘訣でも聞けるんかの? しかし、なーんにも変わらんではないか! わしは断固としてテレビ局に抗議する!」
タカシ「(腹を抱えて笑い転げる仕草)あはははは! じいちゃん、『じじいの健康』って! 爺さんが睨んでも何も起きないよ! それ、『二次元コード』っていうの! って言ってもわかんないか。その四角いマスを、このスマホで『撮る』んだよ」
ご隠居「(胡散臭そうな顔でタカシを見て)テレビを電話で撮るじゃと? 奇怪なことを言うな。さてはお前、タカシじゃないな。近頃流行りの『漏れ漏れ詐欺』か!」
タカシ「なんだよそれ、オレオレ詐欺の親戚? 目の前に俺がいるのに詐欺のわけないだろ!」
まあ、こんな調子でございまして。世代間のギャップといいますか、話がまったく噛み合わない。
さて、それからしばらく経った、ある日のことでございます。ご隠居とタカシくんが二人で出かけまして、用事が済んだら午後三時に駅の改札で待ち合わせ、ということになりました。
タカシ「じゃあじいちゃん、三時にここでね。もし遅れそうだったらLINEするから」
ご隠居「らいんじゃと? わしと赤い糸で繋がっておるのは、死んだばあさんだけじゃ」
タカシ「赤い糸……っていうか、おばあちゃんピンピンしてるでしょ! まあいいや。じゃあ、また後で」
ご隠居「おう。わしは腹時計と太陽の動きで行動するからの。その板っ切れに頼りっきりの若造とは年季が違うわい」
なんて言い合ってふたりが別れます。ところが問題はタカシくんの方でした。用事に夢中になっているうちに、けっこうな時間になりまして。ありゃりゃ、スマホの充電が切れてしまったんですね。さあ大変です。これじゃ時間を確かめることも、連絡することもできない。
タカシ「(不安そうに辺りを見回し)やばい。もう三時とっくに過ぎてるし。じいちゃん、どこだよ。心配してるだろうな。いや、怒ってるかな」
半泣きのタカシ。駅員に呼び出しを頼むなんて機転も利きません。タカシがおろおろしてるところに、駅の外れにある公衆トイレから、ひょっこりとご隠居が現れた。ズボンのボタンをかけながらね。
タカシ「(駆け寄る仕草で)じいちゃん! よかったぁ! もう会えないかと思ったよ! 俺、スマホの充電が切れちゃってさぁ!」
ご隠居「(悠然と)おお、タカシか。人生の充電が切れそうなわしより、その板切れは便りないのお」
タカシ「なんだよ人生の充電って。……ん?」
タカシくんの目線が、ご隠居のズボンの前に、吸い寄せられます。そこには、まだらに濡れた、大きな、大きなシミが!
タカシ「じ、じいちゃん! それ、まさか……漏れ……(心の声に)漏れ漏れ詐欺、微妙に回収しちゃったよ!」
ご隠居「(シミをちらりと見て、悪びれもせず)わしがおもらしなどするものかい。こいつが、ちいとばかり暴れん坊だっただけじゃ」
タカシ「こいつ?」
ご隠居「(おもむろに自分の股間をポンと叩く)そうじゃ。わしの息子が、な」
タカシ「息子⁉ じいちゃんの息子ってことは……俺の父さん⁉」
ご隠居「そうとも言う。わしの息子じゃから、お前にとっては父親みたいなもんじゃな」
タカシ「(一瞬、ご隠居の股間に向かって、神妙な顔で)お父さぁ〜ん……(ハッと我に返り、ご隠居に向き直って)じゃないわ! 何言わすんだよ、この下ネタじじい!」
ご隠居「フン。これこそ、お前の好きな二次元コードではないか。それも、ほれ、ひとつ、ふたつ、大小みっつもあるぞ」
タカシ「自慢になんねえよ」
ご隠居「こんなもの、わしが若いころからそこらじゅうに付けとったわ。わしとばあさんとが結ばれたのも、トイレから出てきたわしに、ばあさんが『あらあら』と真っ白なハンカチを貸してくれたのが、始まりよ。どうだ。スマホなんざなくたって、染み一つで、恋は生まれるんじゃ」
タカシ「生まれねえよ、普通は! せっかくの思い出も台無しだよ!」
ご隠居「まあ泣くなタカシ、これで顔をふけ(手ぬぐいを渡す)」
タカシ「(手ぬぐいで顔をふく)ありがと、じいちゃん……って、これ、さっきのおもらし拭いたハンカチじゃねえか! 気を付けてくれよ!」
ご隠居「わっはっは(手ぬぐいを見て、ハッと何かを思い出したように)……気を付け……。そうじゃった。(膝を打つ)タカシよ、ここのトイレといえば、もっと切ない待ち合わせの話があってな……(表情がスッと変わり、少し寂しげな目に)」
と、ご隠居、急に真顔になりまして。駅のベンチに二人で腰を下ろすと、ポツリ、ポツリと語り始めました。
それは、昔々の、貧しい職人・宗次郎さんと、その恋人のキヨさんとの物語。二人がいつも待ち合わせていたのが、さっきご隠居が出てきた公衆トイレの前だったそうでございます。
で、この宗次郎さん、キヨさんと所帯を持つためにお金が必要と、大きな仕事を見つけて、遠くへ稼ぎに出ることになりました。出発の朝、駅まで見送りに来たキヨさんは、いつものように心配そうな顔で、宗次郎さんの背中に優しく声をかけます。それがまた、鈴を転がすような、涼やかな声。
キヨ「(上品に、透き通るような声色で)あなた。どうぞ、お気をつけくださいまし」
宗次郎「(照れ隠しに、わざとぶっきらぼうに)おう。な、なんだよ、『お気をつけて』ってのは。心配性だなあ、おめえは。普通に『行ってらっしゃい』でいいんだよ」
それが、二人の最後の会話となりました。数年の後、まとまった金を手に町へ戻ってきた宗次郎さんを待っていたのは、キヨさんがもうこの世にはいないという、あまりにも酷な現実でございました。絶望した宗次郎さんが、思い出のトイレの前を通りかかりますと、どこからか、聞き覚えのある涼やかな声が……。
声「(キヨの声色で、少しエコーがかかったような)足元に、お気をつけください」
ハッと顔を上げる宗次郎さん。あたりを見回しても、もちろんキヨさんの姿はありません。しかし、しばらくすると、またさっきと同じ声が。
声「(キヨの声色で、エコーをかけるように)足元に、お気をつけください」
それはキヨさんが生前、その声の良さを買われて、駅のアルバイトで録音した、音声ガイドだったんでございます。それから数十年、宗次郎さんは毎日、その声を聴くためだけに駅へ通い、キヨさんとの思い出の場所であるあのトイレを、まるで宝物を磨くように、掃除し続けたそうでございます。
(しんみりとした間。お茶を一口飲む仕草)
この話に、タカシくんはすっかり心を打たれちまいまして。
タカシ「(鼻をすすりながら)そうだったのか……ここのトイレに、そんな話が……。そういや、トイレの脇にしゃがんでる、ひげぼうぼうのじいさんを見たことがあったような」
ご隠居「そりゃ、宗次郎さんじゃな」
タカシ「スマホがなくたって、人の想いって、ちゃんと伝わるんだな……。で、じいちゃん、宗次郎さんは、その後どうなったんだい?」
ご隠居「(遠い目をして、トイレの方を見やり)駅の近代化でな、その音声ガイドが、温かみのないエイヤーの音声に変わってしもうてな」
タカシ「エイヤー? ああ、AIか。もう、なんか、わざと間違えてないか?」
ご隠居「その日を境に、宗次郎さんの姿を見た者は、誰もいないそうじゃ」
タカシ「そっか(トイレのほうを見やる)」
音声ガイド「(AI風にちょっと冷た目に)足元にお気をつけください。Please watch your step」
ご隠居「(タカシに向き直り、諭すように)昔の駅には、決まって伝言板があったもんじゃ。見たことないか。黒板にチョークで『先に行く』なんてな。電話にしても、留守番電話に残された声の温かみ、ポケベルの数字に込めた暗号……昔の人間は、そりゃあ豊かだったんじゃ!」
タカシ「ポケベルかあ……あの、0840で『おはよお』、ってやつだろ? 知ってるよ」
ご隠居「そうじゃ、0896なら『お歯黒』じゃ」
タカシ「だれが使うんだよ」
ご隠居「もっとあるぞ。ばあさんから『32963920』なんて送られてくる」
タカシ「はあ? さんにーきゅーろく……? 全然わかんねえよ」
ご隠居「だから、『32963920』じゃ」
タカシ「わかんないって!」
ご隠居「『329・6』はドレミのミの周波数、『392・0』はソの周波数じゃ! つまり、『ミソを買ってきてくれ』という意味に決まっとろうが!」
タカシ「あんたら夫婦はスパイか何かかよ!」
なんていうやり取りがございまして、すっかりご隠居にやり込められてしまったタカシくんでございました。そして、また後日のこと。タカシくんがご隠居さん家のリビングに入りますと、ご隠居が、以前にも増して真剣な、しかし、自信に満ち満ちた顔で、再びテレビの二次元コードを「ジーッ!」と睨みつけているんでございます。
タカシ「(呆れたように)じいちゃん、まだやってんの? だからそれは睨むもんじゃ……」
ご隠居「(タカシを制するように)フッフッフッ、タカシよ、以前のわしと一緒にするでない。わしは、進化した!」
タカシ「え、シンカ?」
ご隠居「ついにこの目で! この暗号を解読できるようになったのじゃ!」
タカシ「(目を丸くして、食い気味に)まさか⁉ どうやって⁉ 本当にスパイだったのか」
ご隠居の奥さん「また、おじいさんったら、かわいい孫をからかって」
タカシ「あ、ばあちゃん。そうだよ、この二次元コードが読めるって、じいちゃんが」
奥さん「(タカシを制するように、テレビの隅を見る。にらみ、そして、うんうん、うなずき、涙し)おじいさん、あのトイレのおそうじをしてた宗次郎さんが見つかって、駅で表彰されたそうですよ」
ご隠居「(涼しい顔)おお、そうらしいの」
タカシ「そんな、ばあちゃんまで……(あわてて、スマホをテレビにかざす仕草。驚いた顔でご隠居夫婦のほうを見る)あ、あんたらほんとにスパイか何かかよ」
おあとがよろしいようで。
作・酔酔亭なまくら
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