【登場人物】
逢坂 渉:作家を自称する「とんでも詩人」。大袈裟なポエムを詠み上げるが、中身のなさと強い生活感が漏れ出ている。
武功:路上の詩人。ダーティ・リアリズムを体現する作家。人生の掃き溜めを描くが、逢坂のポエムに巻き込まれるとひどく脱力する。
【場面設定】
深夜のボストー区の路地裏。冷たい風が吹いている。武功がアスファルトにしゃがみ込み、排水溝の網の隙間をじっと覗き込んでいる。そこへ、トレンチコートの襟を立てた逢坂渉が歩いてくる。

逢坂 渉:夜の底で、星屑でも探しているのかな。
武功:(振り返って、顔をしかめる)あんた、常盤荘の逢坂さん。俺はただ、排水溝に100 円玉を落としただけだよ。悪いけど、今は一人にしてほしい。
逢坂:100円玉。それは君の流した銀色の涙だね。アスファルトの冷たさに、君の孤独が反射している。
武功:孤独でも涙でもない。明日の朝に買うはずだった缶コーヒーの代金だ。一日中現場で泥まみれになって働いて、やっと手に入る温かい缶コーヒーを、ドブに盗まれた。ただ、それが腹立たしいだけだ。
逢坂:苛立ち。いや、違うな。君はその100円玉を通じて、都市という名の迷宮への入場料を支払ったんだよ。君の震える声が、都市の孤独の前奏曲を奏でている。
武功:震えているのは、夜風が冷たいから。あんたのその、やたらと襟を立てたトレンチコート姿を見ていると、ほんとうに風邪を引きそうになる。
逢坂:月影を纏って、私は夜の街とダンスを踊っているのさ。トレンチコートは今夜のドレスコード……おや、いけない。
武功:どうかしたのか?
逢坂:(トレンチコートのポケットを両手で探り)ポケットに入れていた、スーパー「人生」のちくわ巻きが、ない。どうやらコートの破れた穴から落ちてしまったようだ。
武功:(あきれて立ち上がる)あんた、そんな恰好でちくわ巻きを直接ポケットに入れてるのか。
逢坂:ああ、ひだまりを半分こする半額シールというチケット付きの。それなのに、生活という名の無慈悲な重力が、私のコートのポケットを容赦なく引き裂いたのだ。君の100円玉と、私のちくわ巻き。私たちは今、同じ喪失の海を漂う兄弟だ。
武功:お願いだから、一緒にしないでくれ。俺の100円は、今日の現場で流した汗がくれた駄賃だ。いや、聞かなかったことにしてくれ。
逢坂:汗がくれたお駄賃。
武功:繰り返すな。あんたの風邪が伝染ったじゃないか。言っておく。ちくわ巻きがポケットから落ちたのは、あんたのただの不注意だ。
逢坂:そうだね、君もドブの底に、沈丁花の涙を見たんだね。美しい旋律の乱れだ。さあ、もっと君の絶望を聴かせてくれないか。
武功:もっとって、もともと俺は絶望してるなんて一言も言ってないだろう。ただ100円が手元に戻ればいいだけだ。なのに、あんたの大袈裟な言葉を聞いていると、俺が毎日現場で泥水をすすって生きていることを、馬鹿にされたような気になる。
逢坂:深いね。
武功:いや、深くはない。だが、俺が泥水すすって書いている原稿も、あんたの手にかかれば、ただの綺麗な飾りにされそうだ。
逢坂:泣いているのかい? その涙は、君が自分という名の登場人物を演じきった証だ。震えるほど美しいよ。
武功:寒いと認めろ。(頭を抱えてしゃがみ込む)そして、頼むから、それ以上俺を綺麗に飾らないでくれ。俺のどうしようもない生活を、勝手にポエムの素材にしないでほしい。
逢坂:君の祈りは、夜空のキャンバスに描かれた……おや、私のちくわ巻き、排水溝の網に引っかかっていた。これは神様がくれた未来へのバトンだ。
(武功が、逢坂に代わり、ちくわ巻きの袋を拾い上げる)
武功:ほら、バトンが6本も入ってる。おい、ちょっと待て、あった、100円玉だ。
逢坂:名前のない明日が見つかったかい?
(武功が、100円玉も拾い上げる)
武功:ああ、名前は書いてないさ。でも、俺の100円玉に違いない。油でベタベタだ。
逢坂:(ちくわ巻きを武功から受け取る)このちくわ巻きは、君の100円玉が呼んでくれたのかもしれないね。ありがとう、ブラザー。家賃の督促状と一緒に、大切に味わうよ。
(逢坂がコートの襟を直し、満足げに夜の路地を歩き去る)
武功:最後もポエムにしろよ。
(武功は油まみれになった100円玉を手に、月を見上げる)
(幕)
作・千早亭小倉



