【登場人物】
恋流波 東彦:早稲田大学の自主映画サークルに所属する大学生。映画制作への情熱を持つが、サークルの実態に困惑する新入生。
中野 あやね:社会人。東彦より少し年上で、落ち着いた佇まいの中にいたずら好きな一面を持つ。
【場面設定】
1980年代前半、初秋。早稲田大学近くの昔ながらの喫茶店。テーブルにはアイスコーヒーとレモンスカッシュが置かれている。

中野あやね:ロボットみたいにカクカクしながら、お店に入ってきたけど、流行ってるの?
恋流波東彦:(肩を回しながら)筋肉痛です。サークルの夏合宿から帰ってきたばかりで。
あやね:ほんと日に焼けてる。稲門なんとかなんとか? なんだっけ、映画の。
東彦:シナリオ研究会です、稲門。
あやね:合宿でも、8ミリの撮影とか、朝まで映画を熱く語ったりするんでしょう、楽しそう。
東彦:いえ、カメラは回しません。シナリオ研究会だけど、セリフも一行も書いてません。
あやね:え? 映画のサークルなのに?
東彦:うちのサークル、映画の話をすると、先輩が嫌な顔するんです。知ったかぶりするなって。
あやね:へえ。そういうの、わからなくもないけど。それじゃ、合宿に行って、何をしてたの。あ、飲み会だ。
東彦:ソフトボールです。
あやね:ソフトボール? それで、筋肉痛。
東彦:はい。朝から夕方まで、ひたすら試合です。サークルにチームが3つあって、みんなどれかに入れられるんです。
あやね:ずいぶん、熱心なのね、野球に。
東彦:ソフトボールです。宿を決めるときも、「歩いて行ける距離に草野球場があること」が絶対条件なんです。
あやね:それ、ただの草野球チームじゃない。あ、ソフトボールサークルか。映画への情熱はどこに置いてきたの。
東彦:僕もそう思います。そして、夜になれば、今度は延々と飲み会です。
あやね:やっぱり飲むんだ。
東彦:ここでも映画論を語るかと思いきや、試合の振り返りでした。
あやね:あ、映画の話しちゃいけないんだものね。でも、東彦くんってそういう体育会系のノリが嫌いそうだけど?
東彦:嫌いというか、苦手です。そして、合宿の最終日の夜!
あやね:最終日の夜? かくし芸大会とか、キャンプファイヤーとか?
東彦:よくわかりますね。キャンプファイヤーです! そして、締めに、先輩たちが「よし」「やるぞ」なんて言いながら、肩を組み始めて、大合唱です。
あやね:あ、都の西北でしょう?
東彦:「八月の濡れた砂」です。石川セリの。
あやね:あ、ああ、映画の主題歌よね。名曲じゃないの。
東彦:曲は名曲です。でも、むさくるしい男たちが肩を組んで、「夕陽が血潮を流しているの」って歌うんですよ。
あやね:夏の終わりに海辺の民宿で歌うなんて、ドラマチックね。
東彦:いえ、合宿先は群馬の山奥です。海なんてありません。とっくに日は暮れて、まわりは真っ暗な森です。昼間、万歳してフライを取り損なってた僕らは、「打ち上げられたヨット」でも何でもないです。
あやね:(ふと、歌の一節を口ずさむ)あの夏の光と影は〜。
東彦:どこへ行ってしまったんでしょう、僕の麦わら帽子。
あやね:それ、映画変わってるし。東彦くん、醒めてるところあるからね。苦手そう。
東彦:いえ、自分でも意外だったんですが、燃え上がる炎を見つめているうちに、気持ちが高揚してきて。
あやね:「悲しみさえも 焼きつくされ」ちゃったのね? 来年の夏は、東彦くんが先頭切って歌っているかもね。聞いてみたいな、東彦くんの「八月の濡れた砂」。
東彦:いや、歌より映画です。来年か再来年、僕が監督で映画を撮ります。
あやね:ふふ、楽しみにしているわ。
東彦:その時は、あやねさん……ヒロインをお願いできませんか。
あやね:え? 私? もう社会人なのに?
東彦:年齢は、映画の魔法でなんとでもなりますから。
あやね:(少し意地悪に微笑み)東彦くんが魔法を使えるようには思えないけど。
東彦:僕、こう見えて、女性をきれいに撮るのは得意なんです。
あやね:へえ、そういうこと言うんだ。得意とか。意外〜。
東彦:どうですかね。
あやね:(それには応えず、時計を見て)あ、こんな時間。もう行くなくちゃ。
(東彦、しょぼんとして、机の上のレシートをつかむ)
あやね:(東彦の耳元にささやく)ふたりの「夏は あしたもつづく」よ。
(幕)
作・千早亭小倉
![[公式]箱庭の語り部 千早亭小倉](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/04/20260410_125128.jpg)


