【登場人物】
徒 然士:ここあん大学日本文学科講師。完璧な様式美を信奉する。不都合なことがあると「ちょんまげ生えるわ」と嘆く。
三成ミツヒデ:ここあん大学講師。テクストの解剖医。データと統計で他者の自意識を粉砕する。
向原佐和:ドイツ文学翻訳家。常に冷徹で完璧な言葉選びを身上とし、「氷の城壁」を纏う端正な美人。
篠田 律:ここあん大学院生(分子系統学M1)。ラウンジの常連。他者の矛盾や情報を嬉々として収集するネトスト気質のクレーマー。
【場面設定】
ここあん大学早稲田サテライトキャンパス、地下ラウンジ「アンコンフォーミティ」。

徒然士:三成くん。君はいつも私の「ちょんまげ生えるわ」という嘆きを非科学的だと冷笑しているがね。よく考えたら「ミツヒデ」という名前の君のほうが、私よりよほどちょんまげが生えそうではないか。
三成ミツヒデ:(タブレットから顔を上げ、穏やかな笑顔で)徒然士先生。常々疑問だったのですが、先生のその「ちょんまげ生えるわ」という発話は、自身の論理が通じない事象に直面した際の、一種の防衛機制として機能しているということですか。
徒然士:防衛機制だと。馬鹿を言いたまえ。これは理不尽な世界に対する、私の知的な揺らぎと嘆きのレトリックだ。
ミツヒデ:失礼。専門的すぎましたね。要するに、「自分の思い通りにならない現実から目を背けるために、江戸時代の髪型という滑稽な記号に逃げ込んでいるだけだ」ということです。
徒然士:な、なんだと。私の完璧な様式美を、現実逃避と呼ぶのか。
ミツヒデ:私の観測データによれば、先生がこの1か月間で「ちょんまげ生えるわ」と発言した回数は42回。そのうち8割が、ご自身の理論が論破された直後に集中しています。つまり、「言い返せなくなったから、とりあえずちょんまげを生やしてごまかしている」というのが客観的な事実です。
徒然士:ご、ごまかしてなどいない。私はただ、現代の浅薄な風潮を嘆いて。
ミツヒデ:先生の毛髪の残存率から計算すると、物理的にちょんまげを結うことは不可能です。存在しないものを生やそうとするその言語的虚構は、アイデンティティの完全な崩壊を示唆しています。失礼。要するに「言い返せなくなったから江戸時代の髪型に逃げ込んでごまかしているだけだ」ということです。
徒然士:(頭を抱えてうわ言のように)物理的な頭髪の質量だと? 私の魂の叫びが。ちょんまげが五本生えるわ。
ミツヒデ:毛髪の絶対数が足りないにもかかわらず五本という具体的な数字を提示するその論理的破綻。これこそ、事実を突きつけられ、強固な自意識の城が音を立てて崩れ落ちる瞬間。素晴らしい。僕の内部データが今、甘く書き換えられていきます。
向原佐和:(ラウンジの入り口から静かに入ってくる。絹のような黒髪と冷たく端正な顔立ち)徒然士先生。探しました。
ミツヒデ:(表情を戻して)向原佐和さん。ご覧の通り、先生は今、ご自身の論理的破綻に直面してシステムの再起動中です。急ぎの用件でしたら僕が翻訳して伝えますが。
佐和:結構です。私はただ、先生にお礼を言いに来たのです。先生、私はあなたの「ちょんまげ生えるわ」という言葉に、真から救われました。
ミツヒデ:はい?
徒然士:(ゆっくりと顔を上げる)佐和くん。君が、私の言葉に救われたと。
佐和:ええ。先日、カントの難解なドイツ語原文を前に三日三晩一睡もできず、完璧な翻訳語が見つからないという論理の檻の中で、私は息絶えそうになっていました。その時です。ラウンジを通りかかった先生が、自動販売機のつり銭が出ないことに対して「ちょんまげ生えるわ」と叫ぶのを聞きました。
ミツヒデ:向原さん。それは単なる機械の不具合に対する、非論理的な責任転嫁の発話です。何の生産性もありません。
佐和:いいえ。その瞬間、私が構築していた強固で冷たい文法構造が、滑稽な江戸時代の髪型という、文脈を完全に無視した暴力的なイメージによって、強引に打ち砕かれたのです。
ミツヒデ:打ち砕かれた。
佐和:ええ。あんなにも分厚い理性の壁が、たった8拍の無意味な響きによって崩落していく。ああ、世界はこんなにも非論理的で不条理なままでいいのだと。私の冷たい思考の檻が暴力的にこじ開けられる感覚に、甘い目眩と、深い安堵を覚えました。本当に、ありがとうございます。
ミツヒデ:(持っていたタブレット端末を取り落とす)エラーです。僕の精緻なデータ解析による真実の提示よりも、ただの江戸時代の髪型のレトリックの方が、彼女の精神に強く作用したというのですか。
徒然士:(完全に息を吹き返し、力強く立ち上がる)わはははは。聞いたかミツヒデくん。これぞ文学の力。レトリックの勝利だ。データなどという浅薄なものでは到底計り知れん、魂の救済なのだよ。
ミツヒデ:僕の完璧な論理が、非論理的なちょんまげに敗北した。あり得ない。この屈辱的な敗北感。
徒然士:わははは。まったく、愉快痛快。これはもう、ちょんまげが艶やかに結い上がるわ。
ミツヒデ:(膝から崩れ落ち、自らの肩を抱きしめて熱い吐息を漏らす)僕の解剖のメスが折られ、無意味な言葉の前に完全にひれ伏す瞬間。ああ、僕の閉じた世界が今、暴力的に開かれていく。エラーさえ、素晴らしい。
佐和:(恍惚とするミツヒデを冷ややかに見下ろし)あなたも随分と、非論理的な反応を示しますね。
(三人の狂騒が落ち着きを取り戻しつつある中、彼らから少し離れたラウンジの隅――積み上げられた文献の山の陰に、ひとりの女子院生が息を潜めていた。分子系統学専攻の篠田律である)
篠田律:(誰にも聞こえない声で呟く)42回の8割は33.6回。33回なのか、34回なのか。客観的な事実を標榜しながら、データの丸め処理が絶望的に曖昧。
(彼女は三人のやり取りには一切干渉せず、ただ手元のタブレット端末を青白く光らせ、スタイラスペンを素早く走らせていた。画面のヘッダには「律の許せないリスト」とある)
律:何より、江戸時代から連綿と受け継がれてきた「ちょんまげ」という完成されたDNAの系統樹を見下し、「滑稽」と断じるなんて。明らかな情報処理のエラー。絶対に許せない。
(律は理知的な瞳の奥に愉快犯的なクレーマーの光を宿し、三成ミツヒデと向原佐和の二人の名前を、一切の迷いなくリストに書き加えた。3人の論理と非論理の激突は、彼女のデータベースをまたひとつ、歪な形で充実させるのだった)
(幕)
作・千早亭小倉






