【登場人物】
はるひこ:10歳の長男。絶対的観察者。
なつひこ:5歳の次男。いつもらっらと言っている。
まさよし:父親。弁護士。すぐ小言を言う。
みちこ:母親。専業主婦。ソファと一体化している。
【場面設定】
昭和47年。世田谷区成城・砧のはるひこ家の居間。みちこが台所に立っている。はるひこがそのそばにいる。まさよしは不機嫌そうに新聞を広げている。なつひこは床に座り、十数本の白いレンゲをきっちり並べている。
みちこ:(はるひこに、プラスチック製のボウルを渡す)はる、これかき回して。
はるひこ:(すっぱそうな顔をする)銀色のボウルじゃだめなの?
みちこ:ドレッシングは、透明のほうで作るのよ。
はるひこ:ええ〜、銀色のほうがかっこいいのにな。
みちこ:お父さんのところで、かき回してきて。
はるひこ:(まさよしの隣に座り、透明なボウルに入った油や酢をスプーンで混ぜ始める)ほら、このすっぱいの、まざらないんですよね(なぜか奥様言葉)。バリアになってるのかしら。(油の層と酢の層に分かれている)
まさよし:なんだ、おんぱりそ。ドレッシングをつくってるのか。
はるひこ:うん。すっぱいの。
まさよし:失敗するなよ、この前のチャーハンみたいに。
はるひこ:すっぱいって言ったんだよ。
まさよし:だじゃれのつもりか、ふん。
はるひこ:え、だじゃれ? やっぱり全然まざらない。(台所のみちこに向かって)お母さん、失敗だよ、これ。
みちこ:(台所から声がする)はるは、もういいから、庭からパセリと赤いの取ってきて。
まさよし:なんだ、「赤いの」とは。
はるひこ:小さい、赤い野菜だよ。
まさよし:小さくて、赤い? ああ、ハツカダイコンか。
はるひこ:(台所のみちこに向かって)ねえ、赤いのっって、ハツカダイコン?
みちこ:いいから、取ってきて。
(はるひこはスプーンをボウルに入れたまま、庭へ向かう)
なつひこ:(おかまいなし)らっら、らっら。
(しばらくして、はるひこが手にパセリと赤い小さな大根を持って戻ってくる)
はるひこ:(台所のみちこに)ねえ、とってきたよ。
(はるひこが居間を見ると、まさよしが不機嫌そうにボウルを抱え、スプーンをガシャガシャとかき回している。まさよしの頭からは、モアッと湯気が立っている)
はるひこ:(その様子を見て、目を輝かせる)わあ、湯気を出して動く機械みたいだ。
まさよし:なんだ、おんぱりそ。ハツカダイコンは取ってきたのか?
なつひこ:だっ!
(なつひこが突然立ち上がり、横向きにぴょんぴょんと跳ねて、どこかに行ってしまう)
はるひこ:あ、なっちゃん。どこ行くの?
(はるひこが、パセリとハツカダイコンを持ったまま、なつひこを追いかけて居間から出て行ってしまう。ひとり残されたまさよしは、再び不機嫌そうにボウルをかき回し始める。そのカシャカシャいう音と、遠くから聞こえるなつひこの「らっら」というハミングが、家の空気に溶けていく)
(幕)
作・千早亭小倉



