【登場人物】
氷上 静:批評家、ブックカフェ「シズカ」オーナー。事象を論理や構造で解体しようとするが、予期せぬ不条理に直面すると独自の解釈で暴走する。
へんてこさん:本名はへんてこりん。無意味の侵入者。他者の文脈を一切感知せず、目的論から完全に逸脱した行動をとる。「からん」と口にするが、自身の登場音(?)なのか、「そうなのかしらん」「どうしたのかしらん」の意味なのか、不明。
【場面設定】
湖畔のブックカフェ「シズカ」。開店前の店内。カウンターには誤発注で届いた大量の紙ストローのダンボール箱が積まれている。

氷上静:信じられない。私としたことが、発注書のゼロを2つも見落とすなんて。紙ストロー1万本。これを全部使い切るのに、何年かかるかしら。
(静は箱からこぼれたストローを、隙間なくきれいに並べ直している。額にはうっすらと汗がにじんでいる)
へんてこさん:からん?
(へんてこさんはテラス側の窓から横歩きで侵入してくる。首から下げた用途不明のプラスチック部品がカチャカチャと鳴っている)
静:あなた。また勝手に入ってきたのね。営業前のお店に不法侵入するのはやめていただきたいのだけれど。
へんてこさん:そうなん?
静:そうよ。でも、今の私には、あなたを追い出す気力すらないわ。
へんてこさん:からん?
(へんてこさんはストローの山に顔を近づけ、無表情のままストローのにおいを嗅ぐ)
静:この大量のストローは、私のだらしなさの証拠。お店の引き出しをふさぐ邪魔者だし、これを全部捨てるのにも、燃えるゴミの袋が何枚必要かしら。
へんてこさん:そうなん?
静:資本主義の無駄な巡り合わせに、私自身が飲み込まれてしまったのね。
へんてこさん:からん?
(へんてこさんは両手でストローの束をわし掴みにし、頭上に勢いよく放り投げる)
静:ちょっと、何をするの。せっかく綺麗に並べていたのに。
へんてこさん:へんてこりん。
(へんてこさんはバラバラと落ちてきたストローを、左右で色の違う靴下で無表情に踏みつける。ストローがぺしゃりと潰れる音が響く)
静:あっ。踏み潰した。中が空洞のストローを平らにして、吸い上げるっていう本来の役目をなくしたのね。
へんてこさん:からん?
静:すごい。使えなくなって初めて、そのものの形に気づくっていう、本に書いてあったあれ※だわ。あなたは、これを「在庫」とか「赤字」っていう言葉から引き離して、ただの紙の板にしてくれたのね。
へんてこさん:そうなん?
(へんてこさんは潰れたストローを拾い集め、首から下げているプラスチック部品の小さな穴に、無理やりねじ込もうとする)
静:穴に、潰れた紙を押し込む。何に使うかわからない部品と、役目を終えたストロー。交わるはずのないものたちの、不可能な合体。
へんてこさん:からん?
静:なんて乱暴なのかしら。私の頭の中の、きっちりした計算が、あなたのその無意味さの前で、綺麗に消えていくわ。
へんてこさん:へんてこりん。
(穴に入らないので飽きたらしく、へんてこさんはストローを床にぽいっと放り投げる。そして再び横歩きでテラスへと消えていく)
静:飽きるのも早いのね。でも、不思議と腹は立たないわ。
(静は床に散らばったストローの残骸を眺め、ふっと肩の力を抜く)
静:私のちっぽけな絶望なんて、この圧倒的な無意味の前では、どうでもいいことに思えてきた。掃除の手間は増えたけれど、悪くない気分ね。
(2階から中野小春がおりてくる)
小春:静ちゃん、どうかしたー?
静:だめ、まだおりてきちゃ。
(静、あわてて大量のストローの束をまとめる)
(幕)
※:ハイデガーの言う『道具の破損』と思われる。
作・千早亭小倉




