【登場人物】
ジカク:ここあん高校B組の生徒。大真面目だが、話しているうちに前提が純粋にズレていくシュールな天然系。
空野 円:ここあん大学哲学科講師。執着を持たず、あらゆる論理を無化する超越者。
【場面設定】
ここあん大学早稲田サテライトキャンパス近くの道端。空野円が落ち葉を静かに眺めている。ジカクが通りかかり、足元にしゃがみ込む。

ジカク:(拾い上げたものを円に見せる)円先生、これ、僕が昨日食べた唐揚げの骨かも。
空野円:ああ、ジカク君。それは10円玉ですね。硬貨が鶏の骨であるはずがありません。鶏の骨が貨幣であったことはあるかもしれませんが。ごめんなさい、詳しくなくて。
ジカク:でもお金っていろんなものに変わるじゃないですか。この10円でチロルチョコが買えるなら、今この10円は、未来のチョコの赤ちゃんってことですよね。
円:等価交換を時間の連続性で捉えるのは自由だけど、物質としての同一性はありませんね。あなたの手にしているのは、ただの金属の円盤です。そこには何の意味もありません。
ジカク:なるほど。意味のない金属の円盤。ってことは、この10円玉は、本当は先生が昨日無くしたフライパンのフタかもしれないんですね。僕、先生のフタを拾っちゃったんだ。ちょっと重いな、僕には。
(ジカクは10円玉を両手で大事そうに抱える)
円:私はフライパンのフタを無くしていませんし、明らかにサイズが違います。
ジカク:えっ? 先生、さっきここには何の意味もないって言ったじゃないですか。だから僕は、意味がないならフタでもいいんだと思って運んでるのに。先生、もしかして僕にこのフタで目玉焼きを焼かせようとしてます? フタがあったほうが、美味しくできますからね。
円:待って、ジカク君。私が発した「意味がない」という言葉が、なぜ、私があなたに目玉焼きを強要しているという物理的労働の文脈にすり替わったの?
ジカク:先生、そんなに急かさないで。こう見えて、僕、ちゃんと焼けるんですよ。でもこれ10円玉だから、卵を落としたらはみ出ちゃいますね。先生、僕の肩に白身を受け止める準備、できてますか?
(ジカクが自分の肩を指差す)
円:10円玉からはみ出す白身を、あなたの肩で受け止める? え、誰が?
(円の視線が激しく泳ぐ)
円(声):私の思想が、彼の前ではただの不衛生な調理に変換されている?
ジカク:先生、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですよ。あ、先生は黄身だったんですね。ごめんなさい、僕、フタと間違えて先生に話しかけてました。
円:私が、黄身……?
(円は自分の指先を見つめる)
円(声):私の存在が、卵の中心部分に……え、もしかして、私の理解力が足りなくて、私が間違っているの?
(チャリンと音がする)
ジカク:あーあ、10円玉、側溝に落ちちゃった。これ、目玉焼きを焦がしちゃったってことにしておきますね。先生、火加減強すぎですよ。
円:え、私が火加減を間違えたの?
(円は側溝を見つめたまま、完全に立ち尽くす)
(幕)
作・千早亭小倉


