これは、日記という名を借りた私の記憶。
ロマコメ号のオーニングの下、心地よい風が通り抜けていく。カウンターの前に立つ80代くらいのおかあさんが、何十年も仲間と続けてきたという小さな人形劇団の名前を教えてくれた。
「ンギヤボンガ」
「ン? え、『ん』で始まるんですか?」
私は、思わず聞き返した。日本語の五十音の感覚から外れたその響きに、自然と首が傾く。
おかあさんは、目尻に深いしわを寄せて柔らかく笑った。
「そう。アフリカの言葉でね、『ありがとう』って意味なんだって。日本語のありがとうは『あ』で始まるでしょう? でも、このありがとうは『ん』で始まる。『ん』って、日本語なら最後の音っぽいじゃない。あ、何が最初で、何が最後なんて、べつに考えなくてもいいんじゃないかって思ったら、なんだかおかしくてねえ」
私は握っていたボールペンをノートの上に置き、おかあさんの声の余韻が空気になじむのを、少しだけ待った。
「それで、ンギ……」
「ンギヤボンガ。私がつけたんだけど、覚えられないわよって、仲間たちには不評だったな、最初」
おかあさんのなつかしそうな笑顔には、人を引き込むあたたかさがあった。
支援の現場では、スピードが必要だと言われることはある。もちろん、困っている人は早く助けたほうがいいに決まっている。でも、結果を出そうと急ぎすぎてはいけないことだって、中にはあるはずだ。始まりの「あ」から終わりの「ん」へと一直線に進むだけじゃなくて、立ち止まったり、ゆっくり考えたりする時間があってもいい。
私は、自分がメモをした「ンギヤボンガ」という文字を見ながらそんなことを考えていた。
おかあさんの人形劇団も「あのこと」で大変な目に遭ったかもしれないけれど、それは今ここで急いで話すことではないのだ。仲間たちと過ごした何十年間は、きっと始まりと終わりの境界が溶け合ったような、豊かな時間があったのだろう。
別れ際、おかあさんはもうひとつ、不思議な響きの言葉を教えてくれた。
「ウブントゥ。これはね、あなたの中に私は存在し、私の中にあなたは存在する、そんな意味らしいわ」
また来るわね、と言って、おかあさんは背中を向けて歩き出した。
私はすぐに、ロマコメ号の棚の隅から一冊の本を引き寄せた。世界のあいさつの言葉をまとめた辞典だ。「ンギヤボンガ……ンギヤボンガ……」とぶつぶつ呟きながら、活字の列を目で追う。
背後の人の気配に振り返ると、さっきのおかあさんが戻ってきた。おかあさんは、私が開いていた本と手元のメモを交互に見て、大笑いした。
「『私が言ったこと、信じちゃだめよ。間違ってるかもしれないし、嘘を言ってるかもしれないし』って伝えようと思ったんだけど、あなたは大丈夫みたいね」
彼女の大きくて屈託のない笑い声が再び弾ける。私もつられて、喉の奥からふふっと笑いが漏れる。私が生真面目に言葉の意味を引こうとする姿を、彼女は「物語でつながる仲間」のように面白がってくれたのだろう。その笑い声の温度が、じんわりと胸に伝わってきた。
ふと、レオ・レオニの絵本『あおくんときいろちゃん』を思い出す。あおくんときいろちゃんがぎゅっと抱き合って、みどり色になるお話。あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる。その柔らかい重なり合いは、今この場所にある温かい空気によく似ている。
「サラ・カフレ」
おかあさんは今度こそ本当に去っていった。私は手元の辞書を、パタンとゆっくり閉じる。
これは、日記という名を借りた私の記憶。



