これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
昨日は、私の完璧な運行計画にはない、イレギュラーな一日だった。ここあん村の姉妹都市から寄贈された、新しい移動図書館車。その車で、東風公園の仮設団地を回ったのだ。運行先の規模や利用者の特徴によって、ロマコメ号と手分けできるのは、業務上非常に合理的だ。そう自分に言い聞かせた。
贈られた図書館車は、ロマコメ号よりも少し大きく、棚のつくりも違う。たくさんの工夫が詰まっているのがよくわかる。一つの完成された秩序。それでも、私が慣れ親しんだロマコメ号の、あの少し窮屈で、手の届く範囲にある秩序との違いが、一日中、私を落ち着かない気持ちにさせた。
そして、本当の「混沌」は、現地に着いてから始まった。
今回、使い方を教えに来てくださったベテランの図書館員さんが、ふいに鞄から取り出したのは、真っ白な「白衣」だった。私の頭の中の索引カードが、意味もなくカタカタと音を立てる。
『分類:司書業務』『装備:該当なし』……。
白衣を羽織った彼は、「おもしろ科学実験」と称して、あっという間に子どもたちを集めてしまった。見慣れない図書館車に、見慣れない衣裳のおじさん。子どもたちが興奮しているのがわかる。透明な液体が、別の色に変わる。泡が、勢いよく溢れ出す。そのたびに上がる、甲高い歓声。私の守ろうとする、本を読むための静謐な空間とは、まったく相容れない、予測不能な熱量。
私の仕事は、この場所に静かな秩序をもたらすこと、そのはずだったのに。
不意に、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』を思い出した。あのトモエ学園では、普通の学校の「当たり前」が、すべてひっくり返っていた。授業は、好きな科目から始めてよかった。教室は、電車の車両だった。移動図書館と、どこか通じる。あの場所は、常識から外れていたけれど、子どもたちの本質的な好奇心を何よりも大切にしていた。
この日、私の目の前で起きたことも、そうだったのかもしれない。 ベテランの職員さんは、ただ本を貸し出すだけじゃない。本の中にある「不思議」や「驚き」そのものを、白衣を着て、目の前で見せてくれていたんだ。それは、私の知っている図書館サービスの秩序からは、完全にはみ出していた。
泡が溢れるビーカーを囲んで、目を輝かせる子どもたち。その輪に、どうしても一歩踏み出せない自分がいた。喉の奥で、忘れていた歓声の上げ方を思い出しそうになる。私の守ろうとしていた「静けさ」は、もしかしたら、子どもたちのあの輝きを、知らず知らずのうちに遠ざけていたのかもしれない。
「楽しい運行でした」。日報には、そうは書けない。でも、そうだった。学んだことも、多かった。私の「図書館」という分類棚が、今日、少しだけ、音を立てて広がった気がする。
この出来事は、まだ分類不能。私の心の書棚に、また一つ、行き場所の決まらない、けれど少し眩しい一冊が差し込まれた。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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