移動図書館日記(50)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

同僚の鈴木美桜さんから、昨日参加したというNPOの会議で聞いた話を、いつものあの屈託のない調子で聞かされた。私の苦手な、ああいう「会議」の場にも、彼女はひょいと飛び込んでいける。その軽やかさが、時々、眩しい。

「『移動図書館は、人目も気にせず通いやすいから本当にありがたい』って、言ってくれた人がいたらしいんですよ。私たちが行ってる仮設団地のどこかですよね」

その言葉に、私はカウンター業務用の笑顔を貼り付けたまま、内心、胸を突かれていた。

――人目を気にせず。

私の頭の中の索引カードが、静かに動き出す。『分類:369(社会福祉)』『キーワード:引きこもり、社会的孤立』。図書館という「公の場」に行くこと自体が、まだ、外着に着替えるのと同じくらいのエネルギーを必要とする人たちがいる。私たちがロマコメ号でやっていることは、そういう人たちの、その「人目」という防衛線の内側まで、そっとお邪魔する行為なのかもしれない。

「その人、何もできることがなくて、将来は絶望的だった、って……」

美桜さんの声が、少しだけトーンを落とす。

――絶望。

その言葉は、私の心の書棚の、一番奥で埃をかぶせていた一冊を、無理やり引きずり出す。「あのこと」の直後、図書館が避難所と化し、NDC(日本十進分類法)が何の意味も持たなくなったあの場所で、私だって感じていた、あの冷たい手触り。私たちも皆、絶望の縁にいた。

美桜さんは、さらに続けた。

「だから、『心が楽になる本』とか『折れそうな時に自分を助ける本』みたいなコーナーを、ロマコメ号にも作ったらどうかって、アドバイスされたんです。どう思います、千夏さん?」

私の思考は、また、分類棚に戻ってしまう。「心が楽になる本」。なんて、曖昧で、主観的で、分類不能な……。

いや、本当にそうだろうか。長田弘さんの『世界はうつくしいと』という詩集を思い出した。あの本は、何か具体的な解決策を教えてくれるわけじゃない。ただ、世界がこんなにも静かな驚きに満ちている、という「視線」そのものを、そっと手渡してくれる。

私たちが届けているのは、そういうことなのかもしれない。「絶望」という、たった一つの色に塗りつぶされた世界に、別の色の絵の具がまだ残っていることを、本の形をして伝えにいくこと。

それでも、「心が楽になる本」なんていう棚を、私に作れる自信はない。どの本を、どの分類(コード)で並べればいいのか、きっと途方に暮れてしまうから。

「……そう、ですね。少し、考えてみます」

美桜さんのように、「いいですね! すぐやりましょう!」なんて、とても言えない。私は、彼女が持って帰ってきた、このあたたかくて分類不能な「宿題」を、どう処理すればいいのかわからないまま、ただ頷くことしかできなかった。

業務日報には書けない。でも、この「心が楽になる本」という分類未了の付箋を、私の心の書棚の、一番目立つところに、そっと貼っておこう。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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