これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日
東風地区の仮設団地。集会所の長机の上に置かれた、全五巻の時代小説の最終巻。背表紙が、何人もの借り手に引き継がれる間に白く毛羽立ち、飴色に艶めいている。
「やっと終わったよ、ちなっちゃん」
この巻を返却に移動図書館の受付を訪れた男性が、分厚い眼鏡の奥で目を細める。
「私は、映画もテレビも見ないんだ。テレビってのは、一度始まったら止まらんからな。トイレに行きたくても、考え込みたくても、勝手に進んでいっちまう。でも本ならな、ほら」
――止まらない時間。 私の脳内で、カードが音もなくめくられる。
『NDC 007(情報理論)』
『メディア特性:同期/非同期』
違う。そんな分類の話ではない。 彼の言葉が、私の心の防衛線を微かに震わせる。
――あのこと。
あの日、あらゆるものが、私たちの意志とは無関係に、濁流のように押し寄せ、通り過ぎていった。テレビの画面は、そんな止められない奔流の縮図かもしれない。
「え、でもテレビだって、録画したら止められますよ?」
同僚の鈴木美桜さんが、いつもの調子でっけろりと言う。その屈託のなさに、張り詰めた空気がパンと弾ける。合理的で、正しい反論。男性も「まあ、そう言われりゃそうだが」と苦笑いをする。
けれど、私の喉の奥には、「そうじゃない」という言葉がひっかかっていた。
その時、書架の整理をしていた真木まき先輩が、ふわりと顔を上げて言った。
「本は、好きなところで止まって、好きなだけ休める。本を閉じるのは、読み手が『息継ぎ』をするためだもの。物語は、人に合わせて待っていてくれるから」
――息継ぎ。
集会所の空気が、その一言で凪いだ。男性が、深く頷く。ミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる、時間の花を思い出した。機械的に管理された時間ではなく、人の心臓の鼓動に合わせて開く花。
美桜さんが「なるほどー、深い!」と笑い、男性もつられて相好を崩す。私の守ろうとしていた秩序よりも、もっと柔らかくて、人間的な時間がそこには流れていた。
時代小説の最終巻。男性が、その本を一度開いて、パタンと閉じた。もう一度、それを繰り返す。パタン。それは、物語を中断する音ではなく、物語と現実の世界をゆっくり行き来する、優しい合図だった。
これは、日記という名を借りた私の記憶。
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