移動図書館日記(66)

これは、日記という名を借りた私の記憶。

某月某日

「いまごろ、何しに来たんだぁ?」

そんな言葉を投げつけられる覚悟で、私は新しい地区へ向かった。他のエリアよりずっと遅れてしまった、空白の巡回ルート。

けれど、私の強張った心を解いたのは、地区代表の男性のだみ声だった。

「タナカさん、遠慮すんなって! 一冊なんて言わずに、五冊借りてきなよ!」

彼は、受付の前の丸椅子にどかっと座り、本を一冊だけ大切そうに抱えて近づいてきた女性に声をかけた。

「あんた、楽しみにしてたじゃないか。ずっと待ってたんだろ、図書館来るの?」

その乱暴な優しさが、図書館と住民の間にあった見えない壁を、いとも簡単に壊していく。タナカさんと呼ばれた女性は、少しはにかむように笑って、本を胸に抱いた。

「……あのことで、家中の本を全部だめにしてしまってね」

初対面の私にも、タナカさんは声を聞かせてくれた。

レイ・ブラッドベリの『華氏451度』を思い出す。本が焼かれる世界で、人々は自らが本となり、記憶を繋ごうとした。彼女の空白の期間を埋めていたのも、「また読みたい」という、消えない記憶の熱だったのかもしれない。

代表の男性の「借りてきな」という声は、ただの勧誘じゃない。空っぽになった彼女の書棚に彩りを取り戻す「通行証」だったのだ。

これは、日記という名を借りた私の記憶。

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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