これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。
菜箸千夏さんが遠野へやってくる日が、少しずつ近づいている。彼女がこちらへ向かう道のりや、どんな景色を抜けてくるのかを地図で想像しているうちに、ふと、ボランティアとして沿岸部へ通っていた頃のある情景が蘇ってきた。
震災から半年ほど過ぎた頃。ある海沿いの町で、なだらかな坂の途中にある仮設団地を訪れた時のことだ。支援物資や言葉を届けるため、何度も同じ道を無我夢中で往復していた私に、地元のおかあさんが教えてくれた。
「この坂を、ずっと上っていってみなよ。広い海に出るから」
これまでに何度も顔を合わせていたのかもしれないけれど、まわりを見る余裕が無かったのだろう。名前も知らない、お会いするのも、初めてのおかあさんに思えた。
休憩時間。リーダーに許可をもらい、おかあさんに教わった道を上っていく。坂は上に行くほど木々の緑が濃くなり、仮設住宅の風景からは、その先に海が広がっているなんてとうてい信じられなかった。
でも。
言われた通りに息を切らして上りきった先に、広大な海が見えたときの足の震えを、今も覚えている。木々のざわめきが、海の静けさを際立たせて、息をのむほど美しく、そして怖く思えた。
あの頃の私は、拠点と仮設をただ必死に行き来するだけで、自分がどこにいるのか、その土地がどう繋がっているのかを全く理解していなかった。同じ場所を何度往復しても、それだけでは土地鑑など身につくはずがない。どの方向に何があるのか、その「先」を知ろうとしなければ、私は永遠にただの「よそもの」のままなのだと突きつけられた瞬間だった。
十年以上経った今、私はこの遠野の地で「その先」を知ることができたのだろうか。
息を口から静かに吐き出す。吐き出した分だけの冷たい空気が、鼻から静かに入ってくる。
娘の楓子を母に預けたまま逃げ込んできたこの山々に囲まれた地で、ただ決まった生活の線をなぞり、安全な場所から一歩も動けずにいるだけではないのか。
千夏さんは今日もここあん村の復興のため、移動図書館車で走り回っている「現役」だ。彼女の真っ直ぐな瞳が、私のこの停滞した現在地をどう見るのか。恐ろしくもあり、すべてを見透かしてほしいと願ってもいる。
これは、日記の名を借りた、中野文の記憶。
中野文
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