【登場人物】
平泉 慧:ここあん大学大学院生。エネルギー保存の法則を遵守し、一切の無駄な動きを拒む究極の省エネ主義者。
花野 環奈:ここあん大学大学院生。万物を地質学的なスケールで捉え、ゴミの山を「地層」と呼んで片付けない。
篠田 律:ここあん大学大学院生。他者の論理の破綻を見つけては嬉々として指摘するクレーマー気質。
【場面設定】
ここあん大学早稲田サテライトキャンパス、3号館地下1階のラウンジ「アンコンフォーミティ」。 入り口のドアの前に、空き缶、丸まったプリント、古書などが山高く積み上げられている。

(平泉慧が、ドアの隙間に無言でガムテープを貼り終え、小さく息を吐いてソファに深く沈み込む)
平泉慧:完了。これで大気の無駄な流入は止まった。ここはもう、外とは一切関係のない、あたしたちだけの完璧な居場所。
花野環奈:(積み上げたゴミの山を撫でながら)お疲れ。こっちの地層シールドもできてるよ。空き缶と古雑誌を山積みにして、ドアが絶対に開かないように固定したから。
篠田律:(タブレットの画面をスワイプし)大学のネットも完全に切りました。ルーターの設定を変えて、ペンタからの電波は全部ゴミ箱行き。あそこの先端融合システムなんとかからくる、面倒なメールはもう届きません。
慧:助かる。これで、ペンタのぐちゃぐちゃしたお祭り騒ぎに巻き込まれずに済むわ。
環奈:ほんと。廊下のど真ん中によくわからない巨大な前衛彫刻が転がってて、トイレに行くだけで体力使い切るし、隣のクラスの人が窓の外を大声で登っていくの、本当に邪魔だったよね。
律:あれを見るだけで頭がパンクしそうでした。だいたい、うちら理系を、あの芸術学部の建物に間借りさせた大学の計画が、そもそも根本的に間違っているんですよ。
慧:あいつらの無駄な大騒ぎを見るだけで、こっちまで息が切れる。やっぱり、早稲田の赤レンガの地下に逃げ込んで大正解。
環奈:そうそう。文系の先生たちも、埃っぽくて暗いこの地下までは降りてこないから。ここはあたしたちが誰にも邪魔されずに、静かに自分の研究に没頭できる、世界で唯一の場所。
律:おかしな芸術も、文系の面倒な人間関係も届かない。このアンコンフォーミティこそ、余計なものが何もない、あたしたちにとって一番心地いい隠れ家です。
慧:ここからは省エネモードに入るから、話しかけないで。
(コンコン、とドアの外からノックの音が響く)
律:おかしいですね。外部からの連絡手段は、すべて遮断したはずですが。
環奈:あ、忘れてた。あたし、ピザ頼んでた。
慧:せっかくの居場所に、さっそく外からの邪魔が入ったわ。だいたい、このドアは日常的に使わない前提でしょう? ピザをどうやって受け取る気。
環奈:大丈夫。ドアの床近くのところに、ちょっとだけ隙間を残しておいたから。そこからピザの箱だけ滑り込ませてもらえるように計算してある。
慧:なるほど、物理的な抜け道ね。でも、代金はどうやって支払うの?
律:え、ネットで事前決済したんですよね?
環奈:本当はそうしたかったんだけど、律ちゃんが回線切っちゃったから。
律:え、回線を切る前に事前決済する時間がありましたよね。
環奈:というか、今日はスーパー「人生」の現金払い感謝デーで、現金払いにするとトッピングのチーズが無料になるのさ。現金以外の選択肢はそもそもなかったの。
律:ドアの隙間から現金を渡すにしても、お札は差し出せても、お釣りはどうやって受け取るんです? コインをやり取りするトレイがなんて小洒落たものはここには。
環奈:あ、それならちょうどいいのがいるよ。
律:いる?
(環奈、ゴミの山からごそごそと水槽を取り出し、中の物体を引っ張り出す)
慧:それ、化石じゃないわね。動いてる。
環奈:うん。研究室でこっそり飼ってる、生きたアンモナイト。この殻のぐるぐるの隙間に、お札と小銭を挟むと、落ちないから。
律:絶滅種が生存している疑問はさておき、触手でお札がべたべたになりそうですが。
環奈:大丈夫、ちょっとぬめるだけ。べたべたまではいかない。
律:べたべたとぬめぬめの差がわかりませんが。
環奈:まあまあ、お札と小銭を挟んで、こうやってドアの下の隙間から這い出させる、と。
(ドアの外で、配達員が固まる気配)
配達員(声):えっ、何ですかこれ。軟体動物みたいなのが殻から出て動いてますけど。ていうか、なんでドアの隙間から化石みたいなのに、生きてるから化石じゃないのか? そんなものにお金乗せてるんですか。
律:ドアが開かないのだから。これが、等価交換を履行するための合理的な手段なの。合理的というか、最終手段ね。どうぞお受け取りください。
配達員(声):いやいや、怖すぎますって。目張りされたドアの隙間から、うにょうにょ動く生物に乗ったお金が出てくるとか、何の怪奇現象ですか。気味悪くて触れるわけないですよ。
慧:無駄な押し問答ね。さっさと代金を受け取って店に帰りなさい。
配達員(声):うわ、そこにいるなら、手を出せばいいのに。無理無理無理無理、怖すぎる。ピザはここに置いておくので、お金も要らないです。失礼します。
(猛スピードで走り去る足音)
環奈:あ、逃げちゃった。
律:決済が不成立のまま、物理的リソースのみが確保されました。
慧:まあいいわ。これで飢えずに済む。ピザを回収しなさい。
(幕)
作・千早亭小倉





