千早亭小倉には、「夢」がある。

『箱庭の夢と、忘れものの置き場所』または、ひとつのネタばらしとして。

「ここあん村」の公式サイトで、私は日々好き勝手なことを書き連ね、あれやこれやと試してみている。けれど、その理由が最初からハッキリしているものもあれば、自分のことながら、「ああ、これは昔からの自分の夢や癖につながっていたんだな」と、後から気づかされるものもある。

例えば、AIにも小説を書かせてみる……というか、AIと一緒に作品を作ってみたいということ。これはたぶんだけど、20年あまり編集者という商売をやっていた経験の延長線上にあるんじゃないかな。自分ひとりだけで閉じこもるのではなく、相手(それがたとえAIであっても)とやり取りをしながら物語を捏ね上げていく感触、楽しさ(と同時に苦しさ)が体に染み付いているのだと思う。

それから、菜箸千夏があれこれ悩みながらここあん村を走る『移動図書館日記』。 大きな出来事の前でも、日々の暮らしの中でも、記憶に留めなければいけないことがある。ただ、分かってはいても覚えていられないものもあれば、正直なところ覚えていたくないものもあるだろう。けれど、それを一度、「ものがたり」という形にしてしまえば、とりあえず頭の中から忘れておいてもいいし、思い出したいときにいつでも引き出して眺めることができる。「ものがたり」なら、読む人によって捉え方が固定されることがない、自由がある。「ものがたり」はそんな都合のいい物置きのような役目を果たしてくれるんじゃないだろうか。

似たようなことで言えば、言葉を持たない弟の存在も大きい。弟をどう表現し、どう描くかということは、私にとって長年の難題だった。ただ、うまくできないからといって、「いないもの」にはしたくなかったのだ。そうやってずっと頭をひねった末に生まれたひとつの形が、「はるひこなつひこコント」だった。これが正解かどうかはわからないけれど、父親、母親含めて、あの昭和40年代後半のはるひこ一家の「おはなし」を、私は結構気に入っていたりもする。

まだまだある。というか、これは本題に近い。これまでの人生で十数回も居所を移してきたこと。幼い頃は父親の気まぐれで引っ越しばかりつきあわされ、大人になってからはそれをすっかり受け継いでしまったように、どうにもひとつの場所にとどまっていられない。気に入った街に出合っても、「どうせここもずっと居る場所じゃないんだろうな」と、どこか寂しく思う。昔から、ひとつの町の中を自分の足でぐるぐる回れるような世界があればいいのに、と思っていた。それを私なりの形にしたのが、この「ここあん村」という箱庭だったんじゃないかなと思う。まあ、まだ理想の「ぐるぐる回る」域には届いていないけれど。

なんだか、「夢が詰まっている」みたいに書くと、少々重っ苦しく聞こえるだろうか。いやいや、おじさんになっても、まだ残っている夢はあるのだ。例えば、漫画家になる夢。それから、映画を撮る夢。 これもいつの日か、また別の形としてでも実現できたらいいなと、密かに企んでいる。

千早亭小倉

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