これは、日記という名を借りた私の記憶。
某月某日。ロマコメ号のオーニングの下を、乾いた柔らかな風が通り抜けていく。
カウンターの前に立った七十代くらいの女性が、少しだけ心許ない手つきで、三冊の本を差し出した。
「たぶん、ここで借りたのよね。家族が、返しておいでって言うから」
私は、受け取った本の表紙を両手でそっと包み込んだ。「ええ、確かにお預かりしますね」と、ゆっくり返事をする。
返却されたのは、年を重ねることと、少しずつ物忘れが増えていく日々について、優しく丁寧に書かれた本だった。女性は、私の手元にある本を見つめながら、ふと何かを思い出したように、ぽつりぽつりと語り始めた。
暮らしているこの仮設団地で偶然、気の合う昔の同僚に再会したこと。その元同僚が、「あなた、これを読んだ方がいいわよ」と選んでくれたのが、いま返した三冊だったこと。
「借りた本を読んでみて、自分なりに納得できたの。これまでさんざん苦労をしてきたから、ちょっと早く忘れん坊になっちゃったんだって」
そう語る彼女の表情は、どこかほっとしているように見えた。今はここあん村の外に買い物に行くのを止められているから、この図書館の車が来てくれるのが唯一の楽しみなのだと、彼女は目を細める。私の顔をじっと見て、「あなた、なんとなく、会ったことがある気がするわ」とふんわり微笑んだ。
「でも、本を返すのを忘れてしまったらごめんなさいね。今日こうやってお話ししたことも、あなたのことも、次にお会いしたときには忘れてしまっているかもしれない」
その言葉が、私の胸の奥を静かにノックする。でも、彼女の声には、重暗い響きや、同情を引こうとするような揺らぎは少しも混じっていなかった。ただ、日向ぼっこをしているときのような、穏やかで明るい声のトーンだった。
「でもね、今日、お話を聞いてもらってとっても楽しかった。家に帰ったら、移動図書館の人とお話しして楽しかったって、家族に話します。今日一日、どんなことがあったかを話すことにしているから」
楽しかったという、その声の響きだけで、彼女の言葉の奥にある本当の温かさがまっすぐに伝わってくる。声のトーンが持つ確かな熱は、決して嘘をつかない。
「次に会ったときに、私があなたを忘れてしまっても、そういうわけだから。だから、お名前は聞かないでおくわね」
喉の奥に、あたたかい塊がゆっくりと下りていくのを感じた。記憶の輪郭がいつか曖昧になってしまうとしても、今、ここで交わした「楽しかった」という声の響きこそが、何よりも確かな真実なのだ。
ふと、いとうひろしさんの絵本『だいじょうぶ だいじょうぶ』を思い出した。こわいことや不安なことがあっても、おじいちゃんが「だいじょうぶ だいじょうぶ」と言ってくれる。その言葉の論理的な意味よりも、おじいちゃんの穏やかな声の響きそのものが、おまじないのように僕の心を包んで守ってくれる物語。
彼女の声のトーンも、きっと同じだ。忘れていくことの不安から、彼女自身と、それを見守る家族の心を「だいじょうぶ」と温めるための、確かなおまじないなのだ。
私は、「また、いつでもお話ししに来てくださいね」と、できるだけ私の声の熱も伝わるように応えた。
業務日報には、ただ返却と貸出の数字だけが並ぶ。でも、私の記憶の書棚には、今日という日の「楽しかった」という声のトーンを、決して色褪せない栞としてそっと挟んでおこう。
これは、日記という名を借りた私の記憶。



