【登場人物】
菜箸 千夏:ここあん村立図書館主任司書。完璧な秩序と分類を重んじる。視覚的なノイズが許せない。
鈴木 美桜:同図書館司書。悪気はないが大雑把な性格。極度の「捨てられない」症候群で、デスク周辺は常に「地層」と化している。
【場面設定】
ここあん村立図書館のスタッフルーム。休憩用のテレビから情報番組が流れている。千夏がちょっとイライラしながら、ケーブルテレビ用のリモコンのボタンを何度も押している。テレビの画面右側には、「アプリキャストの始め方」というポップアップ表示が居座っている。

菜箸千夏:(リモコンのボタンをあれこれ押している)消えない。消・え・な・いっ!
鈴木美桜:(マグカップを持って近づいてくる)千夏さん、どうかしました?
千夏:ああ、いいところに。美桜さん。このテレビの画面の「アプリキャストの始め方」という表示です。先ほどから、急に現れるようになって、リモコンの「戻る」ボタンなど、それらしきボタンを押しても、まったく反応しないんです。
美桜:スマホで検索してみました? こういうのって、直し方とか、たいてい出てますよ。
千夏:ええ。私のスマホが怪しいなどと、解除手順が自信満々に書かれているのですが、そこに書かれている項目自体が、私のスマホにも、このリモコンにも見当たらないんです。第一、私のスマホがこのスタッフルームのテレビの機能に干渉するなんて……。
美桜:許せないですよね。
千夏:許せません。あってはなりません。
美桜:千夏さんの精神的秩序を著しく乱しますよね。
千夏:乱します。著しく。
美桜:(千夏からリモコンを受け取る)「アプリキャスト」なんてボタン、ついてないですね。
千夏:(ややうんざりしつつ)分かっています。12回は見ましたから。テレビのスイッチを入れ直しても、表示がまた復活します。論理的に考えて、外部から継続的な干渉が発生しているとしか思えません。(ため息をつく)
(美桜が、机の横にある「スタッフルームいろいろ」という張り紙の貼られたコンテナに腰を掛ける。テレビのポップアップ表示が消える)
千夏:ほら、こうやって、一旦は消えるんです。
美桜:直ったんじゃないですか? 機械なんて、案外そんなもんですよ。
(美桜が「千夏さん、お茶淹れますね」などと言ってコンテナから立ち上がる。テレビのポップアップ表示が再び現れる)
千夏:(がっかりとは違う)ああ。
美桜:(少しうんざり風)また、ですか?
千夏:(美桜とは違う反応)鈴木さん。もう一度、そのコンテナに腰を掛けてみてください。
美桜:え、このプリキャストはもういいんですか?
千夏:よくないです。いいから座ってみて。
美桜:こうですか?
(美桜がコンテナに座ると、表示が消える)
千夏:立って。
(美桜が立ち上がると、表示が復活する)
千夏:(メガネのブリッジを押し上げる)原因を特定しました。そのコンテナの奥深くから、何らかの信号が発信されていると思われます。直ちに発掘作業を開始してください。
美桜:このコンテナ、懐かしいですね。懐かしいのに、何が入っているかわからないって面白いですよね。
千夏:それはいいので、探索を開始してください。
(美桜がコンテナの中から地層のように積まれた本や文房具、謎の雑貨を次々と取り出していく)
美桜:昔の時刻表、インクの出ないボールペン、使いかけのマスキングテープ。あれ、これは!
千夏:何か見つかりましたか。
美桜:(一番底から、黒いプラスチックの塊を取り出す)これ、昔使ってたこのテレビの純正リモコンですよ!
千夏:なぜ、ケーブルテレビに移行したはずの過去の遺物がそこに。
美桜:あっ。捨てるのがもったいなくて。とりあえず私が入れたんでした。
千夏:(リモコンとコンテナの底を交互に見る)入れたんでしたか。なるほど。その上に重たい本や雑貨を積みすぎた結果、極限まで圧縮され、リモコンの特定のボタンが常に押される寸前の状態にあった。美桜さんが腰をかけるまでもなく、ちょっとした振動などで、リモコンのスイッチが押され、微弱な赤外線がテレビに干渉していたのですね。あくまで仮説ですが。
美桜:過去の遺物が、重力と堆積物の圧力によって、現在のテレビに信号を送り続けていたんですね! リモコンすごい。何より電池がよくがんばりましたね。肝心なときには、「ああ、電池切れてる」ってなるのに。なんだか歴史のロマンを感じます。
千夏:感じるのは、美桜さんの「捨てられない病」がこの図書館に伝搬し、現在のインフラに実害を及ぼすという事実だけです。で、例のボタンはありますか?
美桜:(手元の古いリモコンをじっと見つめる)ええと……。
(美桜と千夏、古いリモコンの盤面に顔を寄せ、無数のボタンを見つめる。数秒の沈黙)
美桜:千夏さん。
千夏:はい。
美桜:ありました! 右下の隅っこに、ひっそりと。
千夏:ああ、「アプリキャスト」ボタン。
(二人は息を呑み、その未知のボタンを見つめ合う。歴史的な遺物を発見したかのような、数秒の緊迫した間)
美桜:押して、みますか?
千夏:安全確認のため、一度だけ。
(美桜が、爆弾のスイッチでも押すかのように、恐る恐る、ゆっくりと指を伸ばす。カチッ。テレビのポップアップ表示が消える)
美桜:おおーっ!
千夏:秩序は守られました。それでは、改めて休憩にはいりましょう。
美桜:はい! あ、でも休憩時間、もう終わりですね。
千夏:(小さくため息をつき)いいです。これで午後の業務に、迷わず打ち込めます。(テレビを消して、ふたり出ていく)
(幕)
作・千早亭小倉





