【登場人物】
熱田 功子: ここあん大学准教授。現実の問題解決と倫理的秩序を重んじる情熱家。
真木 まき: ここあん村立図書館の司書。現実をメルヘンに翻訳して生きる。
空野 円: ここあん大学講師。熱田の同僚。あらゆる論理を無化する、掴みどころのない超越者。
緑野 翠: ここあん村の村長。やり手の行政トップ。秩序と管理可能性を何よりも重んじる。
【場面設定】
ここあん村立図書館、1階の「暮らしと集いのフロア」にあるラウンジスペース。 熱田功子が、図書館の新しい「利用マナー啓発ポスター」の原案をテーブルに叩きつけ、眉間に深い皺を寄せている。

(熱田が、ポスター原案に激しく赤ペンで激しく赤字を入れている)
熱田 功子:(誰に言うでもなく)だーかーら、「静かにしましょう」だけじゃ、不十分だと言ってるの! なぜ静かにすべきか、他者の思索の自由を尊重するという、共同体における倫理的根拠を明記すべきでしょう! 「ご協力ください」みたいな曖昧な表現が、秩序の崩壊を生むのよ!
(そこへ、図書館司書の真木まきが、返却された絵本を胸に抱えて、ふんわりと通りかかる)
真木 まき:あら熱田先生、こんにちは。そんなに大きな声を出されると、眠っている「物語の妖精」さんたちが、びっくりして起きちゃいますよ?
功子:は? 妖精? それより、これ見てちょうだいな! 図書館のマナー啓発、あまりに主体性がなさすぎるわ! 倫理的な介入が足りてないのよ!
まき:(ポスター原案を覗き込み、にっこり笑い)このラウンジに住んでいる「おしゃべりウサギ」さんたちに、先生のその熱い想いが届きますよーに。
功子:……ウサギ? そうじゃなくて! 現実にスマホで大声で話してる利用者がいるのよ! 妖精じゃ、その迷惑行為は止められないでしょう!
(熱田が声を荒げたところに、空野円がふらりとやってくる。手にはなぜか植物図鑑を持っている)
空野 円:熱田先生、廊下のはずれまで、先生の声が聞こえてましたよ。
功子:聞こえて結構。図書館の秩序の問題です! それなのにこの人ったら、「妖精」だの「ウサギ」だの……。
(功子、まきから円へと向き直り、詰め寄る)
功子:空野先生! あなたも哲学者なら、こういう非現実的な態度が、いかに倫理的な議論を停滞させるか、お分かりでしょう!?
円:(功子の剣幕には構わず、ラウンジの観葉植物の葉をそっと撫でながら)……この葉っぱは、どこから来て、どこへ行きたがっているんでしょうねぇ。
功子:葉っぱ!? 今、マナーの話をしてるの! ああもう、あなたもまきさんも、どうしてそう、いつもいつも掴みどころがないのよ! 現実から目をそらして! ふたりとも、同じ穴のムジナだわ!
(功子が怒りで肩を震わせていると、そこへ、緑野翠ここあん村村長が秘書的な職員を伴って、足音も高く現れる)
緑野 翠:……ずいぶん賑やかね、熱田さん。図書館で何を騒いでいるの。それこそマナー違反じゃないかしら。
功子:村長、ちょうどよかった! この村の公共の秩序について、一言……!
(翠が功子の言葉を手で制す。その視線は功子を通り越し、まきと円を冷静に見比べる。数秒の沈黙)
翠:功子さん。あなた、哲学者にしては、ずいぶん雑な括り方をするのね。(まきを顎で示し)こちらの司書さんは、とても優秀よ。彼女は、この厄介な現実である「マナー違反」を目撃した瞬間に「メルヘンの国」という完璧な別世界の出来事に翻訳してしまうの。
功子:ほ、翻訳? 私は、そこが問題だと言ってい……!
翠:(功子の言葉を遮り)そうやって、現実のマナー違反は「メルヘンの国の悪い魔法」か何かとして処理し、そこに封じ込めて鍵をかける。だから、決して我々こっち側の現実の秩序と混線しない。ある意味、非常に秩序だったやり方だわ。
まき:(褒められたと思い)えへへ。「メルヘンの国」のルールは、とっても厳しいんですよ。
翠:(次に、円に視線を移し)……でも、こっちの先生は違う。
功子:ええ、そうでしょう! 葉っぱがどうとか……。
翠:(再び功子の言葉を遮り、冷徹な目で円を見つめ)この人は、私たちが血反吐を吐く思いで積み上げている「現実」とか「秩序」とか「ルール」……その土台そのものを、ニコニコしながら、足元から崩そうとしてくるのよ。
円:(何も言わず、微笑みだけを返す)
翠:「メルヘンの国」は管理できる。でも、「無」は管理できない。(功子のほうを見て)熱田さん、あなたが本気で戦うべき相手は、どちらかしら。
(翠の言葉に、熱田は呆然と円とまきを見比べる)
功子:(小声で、悔しそうに)くっ……、村民なんて十把一絡げに見てると思ってたけど、村長ったらとんだ緑のタヌキだわ。ん、さっきはムジナで今度はタヌキ。私のほうこそ、どんだけ動物好きなのよ。まきさん以上に、メルヘンだわ!
(功子が自らの雑な分類と、その「メルヘン性」に気づき、愕然と唇を噛む)
まき:「無」ですかあ。綿菓子みたいな感じですかね。(首をかしげる)
円:(ただ、窓の外の雲の形を目で追っている)
翠:さて。で、そのポスター案だけど。(功子から原案をひったくり)ふん、堅苦しいわね。倫理的根拠なんて誰も読まないわ。必要なのは、インパクト。
(翠が、功子から赤ペンを奪い取り、原案に書き入れる)
翠:上から読んだらミドリノミドリ、下から読んだらリドミノリドミ。テーへペロ、っと。
(緑野が「ペロ」っと言った瞬間。 けたたましい警告音と共に、天井のスプリンクラーが勢いよく作動し始める。 ラウンジは一瞬にして水浸しになる)
翠:(一番派手に水を浴び、髪をずぶ濡れにしながら)きゃっ、何よこれ! 誰か管理室に連絡して! 今すぐ止めなさい! ここの管理はどうなってるの!
功子:(秩序の崩壊を目の当たりにし、びしょ濡れのまま呆然と立ち尽くす)これは、システムによる村長の「テヘペロ」へのダメ出し?
円:(植物図鑑を濡れないよう胸に抱え、天井を見上げ)「火中の蓮華」とはいかないなんて、やはり機械は機械ね。
まき:(両手を広げ、シャワーを浴びながら)わあ! 図書館の中に、虹のシャワーです! きらきら!
(翠の怒声が、水の音にかき消されていく)
(幕)
作・千早亭小倉







