箱庭コント「甘いオフサイド」

【登場人物】
丹波 りん:ケーキ屋「タンバリン」オーナー・パティシエ。人の欲望を見抜き、ケーキで揺さぶる「甘美な魔女」。
鶴亀 昌子:編集プロダクション「ぽんちょ」社員。激務を「思考停止」で乗り切る。

【場面設定】
日曜の午後。モノトーンで統一され、生活感の一切ない鶴亀昌子の部屋。巨大なテレビからは、サッカー中継の単調な実況と歓声が流れている。昌子はベッドに身を沈め、目を閉じている。そこへ、ケーキ箱を提げた丹波りんが玄関から入ってくる。

丹波りん:(靴を脱ぎながら)不用心ね。ドアの鍵、開けっ放しじゃない。

(昌子はベッドに横たわったまま、薄く目を開ける)

鶴亀昌子:丹波さん? なぜここに。

りん:(ケーキ箱をテーブルに置く)配達に来たのよ。忘れたの?

昌子:丹波さんのお店、配達もやってるんですか?

りん:やってないわよ。え、忘れたの? 先週、私のケーキ本の校了だったでしょう? あなたが「ぽんちょ」の机に突っ伏しながら言ったじゃない。「もう限界です……りんさん。これが無事に終わったら、私の家までとびきり甘いケーキ、配達してくださいよぉ」って。普段は隙のない鶴亀昌子の、あんなにだらしなくて可愛い甘え声、初めて聞いたわ。

昌子:(わずかに眉間を寄せる)記憶の欠落があります。極度の睡眠圧と疲労による、無意識の不規則かつ不適切な発言です。忘れてください。

りん:忘れるもんですか。約束通り、ほら、特製のチョコレートタルトを持ってきたわ。それにしても、本当に何もない部屋ね。(テレビを一瞥する)相変わらず、色気のない……というか、サッカー、好きなの?

昌子:ルールも知りません。私がオフサイドです。ただ、スタジアムの持続的な歓声と実況は、脳にとって予測可能な心地よい雑音になります。(起き上がり、ベッドの縁に腰かける)これを浴びることで交感神経が副交感神経に切り替わり、脳のワーキングメモリが強制的に空になるんです。

りん:(床にペタンと座る)要するに、思考停止するためのホワイトノイズね。(タルトの箱を開ける)でも、今日は脳を休ませないわよ。このカカオの香りとスパイスで、あなたの鉄壁の理性をドロドロに溶かしてあげる。

(りんがタルトを取り出し、昌子に顔を近づける。挑発するように微笑み、昌子の逃げ場を塞ぐ。昌子は、ベッドの縁で船を漕ぎ始めている)

りん:さあ、目を開けて。甘い毒を味わいなさい。

(昌子がゆっくりと目を開ける。そして、瞬き一つせず、至近距離にいるりんの目を真っ直ぐに見つめ返す)

りん:……。

(極限の疲労による「思考停止」状態が生み出す、完全な虚無の視線。しかし、その圧倒的な無防備さと静けさが、空間の空気を一変させる。りんの笑みがわずかに強張り、息を呑む)

りん:(声に出さずに)……え? 何、この底なし沼みたいな目。私の方が、呑み込まれそう。

(数秒間、テレビの単調な歓声だけが部屋に響く)

昌子:丹波さん。

りん:(少し声が上ずる)な、何よ。

昌子:糖質の過剰摂取は、睡眠の質を著しく低下させます。りんさんがお持ちの甘い毒は冷蔵庫に入れておいてください。おやすみなさい。

りん:(冷蔵庫を見て)え、私を? あ、タルトをね。

(昌子はふたたび目を閉じ、静かな寝息を立て始める。テレビから「大きな歓声が上がります!」という実況の声が響く)

りん:(タルトを持ったまま、呆れて息を吐く)本当に、可愛くな……ううん、可愛い。

(幕)

作・千早亭小倉

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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