【前回まで】映像制作チーム「文房具カルテット」のメンバー・えんぴつが、ページの端がくっついている「フランス装」の児童文学の復刻版を購入します。付属のペーパーナイフで一枚ずつ切り開きながら読む仕様なのですが、えんぴつは「刃を入れたら、もう『新品の完全な状態』じゃなくなっちゃうだろ。なんか怖くて」と躊躇し、そのまま机に置いています。
それに対し、同じ「文房具カルテット」のメンバー・ハサミは「読まないなら、それただの紙の塊じゃん」と冷酷な正論を突きつけ、強引に切ろうと迫ります。えんぴつは「ちゃんと手を洗って、コーヒー淹れてからにする」「髪切ってこようかな」と必死に理由をつけて先延ばしにしようとして……。
【登場人物】
ぺらいちまい(えんぴつ):映像制作の脚本担当。気取った台詞を書くが実務能力ゼロの男。
とりみんこ(ハサミ):映像編集担当。アナログな自意識をバッサリ切り捨てるスマホ世代のヒロイン。
【場面設定】
シェアハウスの雑然としたリビング。えんぴつが机の上のフランス装の本を前に、悲壮な決意を顔に浮かべている。

えんぴつ:決めたよ。今日こそ、このフランス装の封印を解く。
ハサミ:やっとか。2026年5月10日から1か月以上も机の真ん中を占領していて、正直邪魔だったんだよね。
えんぴつ:これはただの読書ではない。未踏の雪原に最初の足跡を刻むような、神聖な儀式なんだ。
ハサミ:はいはい。さっさと雪原に足跡つけて。スコット隊長。アムンゼンか?
えんぴつ:よし、行くぞ。この一刀で、僕は物語の深淵へと足を踏み入れる。
(えんぴつが右手に持った細長いものを高く振り上げる)
ハサミ:ちょっと待って。あんたが持ってるそれ、何。
えんぴつ:見てわからないか。神聖な儀式にふさわしい、流線型の美しい刃だ。
ハサミ:それ、昨日私が買ってきた鮎の形の焼き菓子じゃん。中に求肥が入ってるやつ。
えんぴつ:え。
(えんぴつ、手元を見る。鮎の焼き菓子を強く握りしめている)
えんぴつ:おかしいな。竹製のペーパーナイフの滑らかな感触を、確かに指先に感じていたはずなんだけど。
ハサミ:あんたの自意識、都合のいい幻覚まで見せるようになったわけ。はい、これ。本物。
(ハサミが『児童文学』の脇に置かれた、付属のペーパーナイフを、えんぴつに差し出す)
えんぴつ:ホンモノの冷たさが、僕の決意を鈍らせる。いや、これもレプリカなのか。
ハサミ:鈍らせないで。切るってさっき宣言したでしょ。
えんぴつ:いや、やはり今回は無しだ。「切る」なのか「入れる」なのかも曖昧だ。何より鮎の焼き菓子を間違えて握るほど、僕の精神状態は疲労している。脳に糖分が足りていない証拠だ。
ハサミ:ただの現実逃避じゃん。
えんぴつ:まずはこの鮎を食べて、血糖値を完全に安定させてから、改めて日を改めて儀式に臨むよ。急ぐ旅ではないからね。
ハサミ:その本、一生読まれないね、鮎ンゼン隊長。
(幕)
作・千早亭小倉




