むかしむかし、あるところに、「なーんにもない国」がありました。
その国には、本当に、なーんにもありませんでした。
色がないので、いつも真っ白。でも、白っていう色があるわけでもありません。
音がないので、いつもシーン。でも、静かっていうわけでもありません。
匂いも、味も、さわった感じも、なーんにもありません。
始まりもなければ、終わりもない。ただ、ずーっと、「なーんにもない」が続いているだけでした。
そこに住んでいる人たちも、やっぱり「なーんにもない」人たちでした。
名前もなければ、顔もありません。考えることもなければ、感じることもありません。
ただ、「じぶん」というものが、そこに「ある」ということだけが、ぼんやりとあるだけでした。
そんな、なーんにもない国の、なーんにもないある日のことです。
どこからか、ひらひらと、一枚の布が飛んできました。
それは、青い空に白い雲が浮かんだ、さわやかな柄の、一枚のパンツでした。
「……なんだ、あれは」
なーんにもない国の住人(仮にAとしましょうね)が、初めて「あれ」という言葉を使いました。
「さあ……? でも、なんだか、こっちにくるぞ」
住人(同じく、仮にBとしましょう)が、初めて「こっち」という方角を意識しました。
パンツは、ふわり、ふわりと、二人の目の前に落ちてきました。
それは、まぎれもなくパンツでした。おしりの部分がふっくらとしていて、足を通す穴が二つ空いています。ゴムのところには、小さなタグがついていて、「まえ」と書いてありました。
住人Aと住人Bは、生まれて初めて、意味のわからないものを見ました。
「……これは、なんだろうな」
「さっぱり、わからんな」
そこに、住人Cがやってきました。
「おおい、二人して何を見ているんだ?」
「これだよ、これ」
住人Aがパンツを指さすと、住人Cは、腕を組んで、うーんと唸りました。
「ふむ。これは、あれだ。きっと、かぶりものだ」
そう言って、住人Cはパンツを頭にかぶりました。足の穴から、ちょうど目が出ます。
「どうだ! 似合うか!」
「おおーっ!」
AとBは、感心して手を叩きました。なるほど、これは帽子だったのか、と。
そこに、今度は住人Dがやってきました。
「おやおや、三人で何をしているのかね」
「これですよ、これ。新種の帽子です」
Cが胸を張って言うと、Dは、しかめっつらをして首をひねりました。
「ばかもん。そんなはずがあるか。それは、手袋だ」
Dは、Cからパンツをひったくると、両手をそれぞれの足の穴に突っ込みました。
「見ろ! ぴったりじゃないか! これで寒い冬も安心だ!」
「おおーっ!」
AとBとCは、またまた感心しました。なるほど、これは手袋だったのか、と。
そこに、またまた住人がやってきました。A、B、C、D……ええと、住人Eですね。
「みんな、何でそんなに盛り上がっているんだい?」
「これさ! すごい手袋なんだよ!」
Dが自慢げに言うと、Eは、呆れたようにため息をつきました。
「やれやれ、君たちは何も知らないんだな。それは、船だよ、ふ・ね!」
Eは、パンツを地面に置くと、おしりの部分にちょこんと座りました。
「さあ、出発だ! 大海原へ、レッツゴー!」
「おおーっ!」
AとBとCとDは、今までで一番大きく感心しました。なるほど、これは船だったのか、と。
みんなで、ああでもない、こうでもないと大騒ぎしていると、パンツは、ふわりと風に舞い上げられ、またどこかへ飛んでいってしまいました。
あとに残されたのは、なーんにもない国の住人たちだけでした。
彼らは、生まれて初めて、「さみしい」という気持ちが、胸のあたりにぽっかりと穴を開けるのを感じました。
そして、生まれて初めて、みんなで大笑いしました。
「帽子だなんて、Cは間抜けだな!」
「手袋こそ、意味がわからないよ!」
「船ってなんだい、船って!」
「じゃあ、あれは一体、何だったんだよ!」
「さあね! 誰にも分かりっこないさ!」
なーんにもない国には、結局、答えは残りませんでした。
ただ、パンツがやってきて、飛んでいったという、訳の分からない出来事があっただけです。
でも、その日を境に、国には「笑い声」というものが生まれました。
そして、住人たちは、お互いを「帽子くん」とか「手袋さん」とか「船長さん」とか、おかしな名前で呼び合うようになったということです。
めでたし、めでたし…?
いや、始まりがないのだから、終わりもないのでしたね。
これは、ただ、そういうお話です。
おしまい
作・おはぎはん



