徒然士はなぜ「ちょんまげ生えるわ」と言うのか
完璧な様式美と正しい定義を何よりも重んじる文芸評論家、徒然士。彼は日頃から、筋の通らない世間の風潮や、ここあん村の騒がしい住人たちの不条理な言動に頭を悩ませていました。
そんなある冬の夕暮れ、喫茶「小古庵」の片隅で、彼は温かいホットワインを飲みながら浅い眠りに落ちました。グラスから立ち上るシナモンとクローブの香りに包まれながら、彼は奇妙な夢を見たのです。
夢の中の彼は、江戸時代の格式高いお武家様でした。背筋を真っ直ぐに伸ばし、非の打ち所がない美しい所作で、なぜか茶の湯を執り行おうとしています。

しかし、そこへ乱入者が。真っ赤な着物を着た落語家の馬楼や、これまた赤色のパーカー……いや、羽織を着たおはぎはんにそっくりな、だらしない町人たちでした。
彼らは「お茶なんて苦いものは嫌だ、カツ丼を持ってこい」「だんごの串の長さが揃っていない」と騒ぎ立て、ついには彼の頭のちょんまげを面白がって引っ張り、おもちゃのように振り回したのです。夢の中の徒然士は、あまりの理不尽さに憤慨し、
「ええい、無礼千万! わしの様式美をこれ以上汚すでない!」
と、必死に抵抗したところで、はっと目を覚ましました。
覚醒した瞬間、彼の目の前にいたのは、心配そうにおしぼりを差し出す店主の神崎志乃と、カウンターでニヤニヤしながら彼を覗き込んでいる現実の馬楼、そしておはぎはんでした。
夢と現実の境界が曖昧なまま、彼は慌てて自分のいささか寂しくなってきた頭頂部を手のひらでなで回し、安堵と混乱が混ざり合った大声を上げました。
「な、なんだ、夢か。驚いた。ちょんまげが生えたかと思ったわ!」
この時の、滑稽なまでの大騒ぎと叫び声が、志乃たちの「まあまあ」という優しい笑い声に包まれたことで、言葉の角が取れていきました。やがてそれは、自らの想定や理屈を超えた非常識な出来事に直面した際、呆れつつもどこか楽しんで折り合いをつけるための、徒然士ならではの感嘆詞、「ちょんまげ生えるわ」へと変化していったのです。※諸説あり。
そして、「ちょんまげ生えるわ!」は、どこへ行くのか?
「あのこと」を乗り越えた今のここあん村(地層4)においても、徒然士が自身の高いプライドと不条理な現実との間で折り合いをつけるための、温かな防衛線として、「ちょんまげ生えるわ!」は機能しています。
どれほど彼が堅物であっても、この一言が飛び出すことで、村の若者たちとの掛け合いの中にクスリと笑える愛嬌と調和が生まれるのです。
最近、生えるちょんまげが2本、3本と増えているという噂も聞きます。ただし、まだ、二桁生えたという報告は聞かれません。ここあん村の住人も、意外と常識人なのかもしれません。



