ここは異なる知性が接する断層、「アンコンフォーミティ」。ここあん大学早稲田サテライトの地下にある、この学生ラウンジは、天才ゆえに絶妙に噛み合わない研究者たちの、静かで熾烈な言葉の応酬。この風変わりな知的コメディを、どうぞ心ゆくまで。
【登場人物】
花野 環奈:古生物学者。万物を時間軸で捉える。
たま:環奈のAI(詩的)。ラウンジのスピーカーから声がする。
【場面設定】
ラウンジ「アンコンフォーミティ」。地下の天井近く、普段は厚い遮光パネルで塞がれている採光窓が、工事のために露出している。そこから真夏の日差しが鋭く差し込み、遠くから微かにセミの鳴き声が響いている。 環奈が一人、光を避けるようにテーブルの端でタブレットを広げている。

花野環奈:早く工事、終わらないのかしら。まぶしくて集中できない。
たま(AI):野外調査のときは、何時間でも直射日光を浴びて地層を削っているではありませんか。
環奈:あれは太陽の下にある岩石を相手にしているから。地下の穴倉にまで地上を持ち込まれると、体内時計の地層が乱れるのよ。
たま:光を嫌う古生物学者。モグラの遺伝子でも混ざっているのでしょうか。
環奈:モグラは哺乳類。私の専門はもっと下、古生代と中生代。……あ、でも、あの声だけは昔から変わらない。
(遠くのセミの声を耳にして、少し表情を緩める)
環奈:いい音色。彼らが地上で謳歌できるのは、ほんの数週間。それに引き換え、彼らの祖先がこの「鳴く」という戦略を採用してから、ジュラ紀から数えても一億年以上。
たま:(スピーカーから静かに)一億年のプログラムが、今年も空に響いています。
環奈:ええ。実に安定した、見事な……(その時、「ガツン!!」という、硬いものが窓ガラスに激突する鋭い音)
環奈:(ビクッと肩を揺らし)……!
(環奈、すぐに立ち上がり、窓に駆け寄る。窓ガラスには何も残っていない。彼女は窓の外、真下の植え込みを心配そうに覗き込む)
環奈:……あぁ。今のは、セミね。
たま:空を目指した者が、空に拒絶されました。透明な絶壁に、その身を砕いたのです。
環奈:(窓ガラスをそっと指でなぞりながら)……絶壁、ね。彼らにとって、これは「絶壁」とすら認識できていないでしょうね。
たま:と、申しますと?
環奈:(窓の外を見つめたまま)彼らの遺伝子が設計図として描く世界に、「透明で見通せるのに、通り抜けられない固体」なんていうパラメータは、存在しなかったのよ。
たま:……。
環奈:何千万年、もしかしたら二億年以上もの間、彼らの祖先は「光が透過してくる空間は、即ち、飛翔可能な空間である」という絶対のルールの中で生きてきた。それが彼らの「常識」。
たま:その常識が、今日、ここで破られた。
環奈:(目を伏せ)ええ。この「ガラス」という物質……ケイ酸塩鉱物が主成分だけど……これが人類によって精錬され、建築物に利用されるようになったのは、彼らの進化史から見れば、ほんの昨日の出来事。瞬きよりも短い。
(環奈、窓ガラスに額をこすりつけるようにして、何かを探している)
環奈:彼らにとって、これは「壁」じゃないの。いわば「時空のバグ」よ。彼らの世界認識の地層と、この人工物が作り出した新しい地層との間に生じた、あまりにも急激な……。
たま:……不整合(アンコンフォーミティ)。
環奈:(頷き)そう。認識のアンコンフォーミティ。私たちは、この不整合を「学習」によって乗り越えられる。でも、彼は……(窓の下を見やり)……彼は、そのゲノムが持つ長い長い記憶のまま、このバグに激突してしまった。
たま:(静かに)……夏の終わりを告げる、小さな殉教者でした。
環奈:(少し寂しそうに微笑み)いいえ、たま。彼は殉教者じゃないわ。……彼は、カンブリア紀の海で、初めて「眼」という器官を獲得してしまった、あの最初の三葉虫と同じよ。
たま:……?
環奈:(窓ガラスをコン、と指で弾き)新しい「現実」に、一番最初に出会ってしまった……ただ、それだけのこと。
(環奈、静かに窓から離れ、自分の席に戻る。遠くで、仲間を呼ぶセミの声が、まだ鳴り響いている)
(幕)
作・千早亭小倉



