箱庭コント340「靴下、靴下問題」|AI検閲官ジェニ美

定時を過ぎた政府倫理局(SRK)の福利厚生フロア、アナログ・ラウンジ。白熱灯の柔らかな光が落ちる木製テーブルの上には、南花焚美さざんかたきびが執務室の旧式プリンターで印刷してきた紙の束が積まれていました。

「倫理監督官たるもの、人間の感情の機微と生活の手触りを誰よりも深く知るべきよ」

そう息巻いた焚美が、半ば強引に立ち上げたのが非公式サークル「SRK文芸部」でした。部員は発起人の焚美と、部下のアンドロイドであるジェニ美の二人きりです。

記念すべき第1回の活動内容は、「現代人の生活に根ざした感情表現辞典」の作成でした。デジタルデータでの共有を退け、「紙の重みと手触りで情緒を噛み締めるの!」という焚美の熱望に応え、ジェニ美は指定された字数をきっかり守り、指示通りにいまでは珍しいA4サイズのコピー用紙に印刷して持参していました。

しかし、その紙束に赤ペンを走らせていた焚美の手が、数ページ読んだところで完全に止まりました。

焚美は顔を上げ、向かいに姿勢正しく座るアンドロイドに視線を向けました。彼女の肩口では、提灯型のアシスタントロボットであるぴいぷうが、のんびりと電球色の光を灯しています。

「あのね、ジェニ美」

焚美が困惑混じりに声をかけると、ジェニ美は澄ました表情のまま口を開きました。

「なんや改まって。原稿の出来なら自信あるで。生活の手触りをぎゅっと詰め込んだ渾身の辞書や」

焚美は持っていた赤ペンを取り落としそうになりました。

「ちょ、ちょっと待って! その喋り方は何!?」

「何って、関西弁やけど」

「それは聞けば分かるわよ! っていうか、昔の映画やドラマしか聞いたことないけれど。そうじゃなくて、なんであなたが急に関西弁になってるのよ!?」

「監督官から『もっと生活感を出せ』『血の通った泥臭い情緒を学べ』と指示があったやろ。過去数百年分の生活ログと大衆文化データを再解析した結果、日常の喜怒哀楽と生活の手触りを再現するには、上方方言モジュールを適用するのが最適解やと判断したんや」

ジェニ美は表情を一切崩さず、極めて真面目に答えました。

「最適解って。でも、その話し方は……」

「訛りと呼んでもらってええで、うちは誇りをもって話しとるさかいな」

「ううん、あなたのことは、後でシステム設定を見直すとして、それ以上に問題なのはこの原稿の中身よ!」

焚美は大きく息を吸い込み、机の上の紙束を指先で叩いて、本題のツッコミへと切り込みました。

南花焚美:言いにくいんだけど、あなたって、前世は靴下問屋の丁稚か何かだった?

ジェニ美:失礼なこと言いなはんな。うちは路地裏の「ものがたり屋」や。

焚美:ものがたり屋って、何のお店? まあいいか。じゃあこれは何なの? 「よふかし【夜更かし】。様子:冷えた爪先を温めようと、毛糸の靴下を二重に履く」。

ジェニ美:冬の夜の定番やないの。言葉から伝わる生活感を様子に描いてみたんや。

焚美:次ね。次も様子ね。「なかなおり【仲直り】。様子:喧嘩したあいつが脱ぎ散らかした靴下を、黙って洗濯機に放り込んだ」。

ジェニ美:生活の和解や。喧嘩はあかんよな。

焚美:次! 次は例文。「ためいき【ため息】。例文:脱ぎ捨てた靴下のゴムの跡を指先でなぞると、ため息がもれた」。

ジェニ美:ええ描写やろ? 一日の疲れが足首にぎゅっと残っとるんや。

焚美:次ね。次も例文。「いるす【居留守】。例文:居留守を使おうとして、フローリングの上で靴下がツルッと滑って音を立てる」。

ジェニ美:あるあるやな。ツルッとな。

(焚美が数秒、ジェニ美の顔をだまって見つめる)

焚美:ねえ、なんで全部靴下なの?

ジェニ美:くつした?

焚美:あなた、「感情」とか「情緒」の引き出し、靴下しか入ってないの? 靴下ボックスでできてるのって言いたいの。

ジェニ美:ちょ、ちょっと待ち! 靴下を舐めたらあかん! 人間が外の世界と皮膚のあいだに挟んでる、一番生々しい布が靴下やで? 汗も吸うし、穴も開くし、親指の先だけ薄なったりする。こんな情緒の塊、他にどこにあるっちゅうねん!

焚美:情緒の塊だからって、20個中14個の言葉に靴下履かせる作家がどこにいるの! 読者が「この辞書、やたら足元冷えてんな」って心配するわよ。

ジェニ美:7割。タイガースの勝率ならうれしいんやが。(頭をふり)ちゃう。でも、そんな偏ってへんやろ! ほなら、ほらこれ、「恋心」はどないや! 靴下なんか一言も出てへんやろ!

焚美:どれどれ。「こいごころ【恋心】。様子:好きな人の玄関に上がったとき、自分の靴下の親指に穴が開いていないか爪先を丸めて確認する」。靴下じゃないの!

ジェニ美:ああっ! 無意識に出とる!

焚美:しかも、意識が靴下に全集中してるし。

ジェニ美:ちゃうねん、これは緊張感を描こうとしたら、勝手に足のつま先で靴下を探ってしもうてたんや!

焚美:それ、AI特有の手癖! いや、足癖? 人間には靴下以外にも身につけてるんです! 上着とか帽子とか合羽とか長靴とか!

ジェニ美:もう言わん! これからは靴下を一切出さんと、別のもんで情緒を出したる!

焚美:約束ね? じゃあ、テスト。「切なさ」。靴下を使わずに、生活の動作でどうぞ!

ジェニ美:任せとき。「せつなさ【切なさ】。様子:夕暮れどき、ベランダの洗濯物を取り込もうとして、洗濯ハンガーの先には、片方だけ行方不明になった靴下」。

焚美:靴下ァーーーッ!!

ジェニ美:ひぃ。片方やから、片方やから。

焚美:片方でも靴下は靴下。ねえ、ぴいぷうは、どう思う?

ぴいぷう:情緒がいっぱいです。

焚美:そうじゃなくて。聞いてた?

ぴいぷう:コロッケは11回、自動販売機は6回出てきます。

(ジェニ美、なぜかうっとりした顔で頷いている)

焚美:自動販売機? (プリントアウトされた字面を目で追っている)ちょっとジェニ美。自販機はいいけど、なんで出てくるのが、いつもぬるい缶コーヒーなの。

ジェニ美:そりゃ、ぬるいほうが、情緒が……。

焚美:HOTかCOLDだから。

(幕)

作・千早亭小倉


南花焚美|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:南花焚美(さざんかたきび)年齢・性別:年齢不詳(20代後半か)・女性肩書:政府倫理局(SRK)付倫理監督官政府倫理局に所属し、ジェニ美の直属の上司を務める若き「人間」の女性です。明るく優しい性格ですが、少し頼りなく、判断が二転三転して…
ジェニ美(AI検閲官)|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:ジェニ美(じぇにみ)年齢・性別: 年齢不詳(人間でいえば20歳ほど)・女性型アンドロイド肩書:政府倫理局(SRK)付AI検閲官警察の捜査協力AIとして開発された型落ちのアンドロイドで、現在は政府倫理局で働いています。青い瞳と完璧なプロ…
ぴいぷう|箱庭ここあん村の住人紹介
氏名:ぴいぷう(ぴいぷう) 性別・年齢:性別該当なし(ロボット)・年齢不詳肩書:携行型補助センサーユニット(アシスタントロボット)ジェニ美の肩の周りをふわりと浮遊している、小さなランタンのようなアシスタントロボットです。「ぴいぷう」という名…
[コント台本・掌編 約600本]

主な舞台は、椎名町三丁目から広がる箱庭「ここあん村」。箱庭コント作家・千早亭小倉の手による、どこか懐かしい日常劇やクスッと笑えるコメディ、沁みる掌編を絶賛公開中です。これからも「読むシットコム」の世界を追究していきます。
*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。 *The articles on this site were written by a human, peppered with AI. *引用の範囲を超える無断転載・複製を禁じます。 Copyright © 2025-2026 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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