概念ラノベ第5講 第2話「実体化する概念と、昭和の街並み」

「カンカンカンカンカンカン――!」

けたたましい踏切の警報音と、地響きを立てて通過する大型通勤車両の轟音が、イチローの脳を激しく揺さぶった。概念界では決して味わうことのない、圧倒的で暴力的なまでの物理的刺激である。

「うおぉぉ……頭がガンガンする。俺、概念なのに物理ダメージ受けてるぞ……」

「月曜日の憂鬱」ことイチローは、ヨレヨレのスーツ姿のまま、アスファルトの路上に膝をついた。

隣を見れば、「二日酔い」が頭にネクタイを巻き、赤ら顔の千鳥足という、昭和の酔っ払いテンプレそのものの姿でふらついている。そして「言い訳」に至っては、ランドセルを背負い、膝をすりむいた半ズボンの小学生だ。

「だって、おかしいじゃないですか! 俺が小学生なんて! こんなの俺の意思じゃありませんよ!」

言い訳が、さっそく言い訳を始める。

「文句を言いたいのはこっちだ。なんだこの古典的な千鳥足は。俺のスタイリッシュな破滅の美学はどこへ行ったんだ!」

二日酔いがネクタイを直そうとするが、手が空回りしてうまく解けない。

イチローは立ち上がり、周囲を見渡した。

高架化される前の小田急線が地上を走り、駅前の踏切は長時間の遮断を余儀なくされる「開かずの踏切」と化している。踏切待ちの人々の波、そして「Odakyu OX」からショッピングカートを押して出てくる主婦たちの姿。どこからか、「成城パン」の焼きたての食パンの香りが漂ってくる。

ここは間違いなく、1970年代、昭和47年の世田谷区成城の現実世界だった。

「なぜ俺たちが、こんなコテコテの昭和スタイルに強制変換されたんだ?」

イチローが考え込んでいると、ふと、先ほど路地の片隅で見かけた少年の姿が脳裏をよぎった。分厚い国語辞典を広げ、ぶつぶつと例文を読み比べていたあの少年だ。

「あのガキのせいか!?」

イチローはポンと手を打った。

「ガキの空想力は無限だからな。あいつが、辞書の短い例文から、凄まじく具体的なイメージを作り上げていたとしたら。そして、俺たちが次元の裂け目を抜けてこの世界に引っ張られたとき、あいつの『具体的な解釈』という強力なフィルターを通ってしまったとしたら……」

イチローの予想は、珍しくドンピシャで当たった。「月曜日の憂鬱」であるイチローは「疲れ切ったサラリーマン」として実体化してしまったのだろう。そして「二日酔い」が「頭に氷嚢を乗せて寝ているサラリーマン」や「酔っ払い親父」の姿になるのも、「言い訳」が「宿題を忘れて先生に言い訳する小学生」の姿になるのも、すべてあの少年の辞書的解釈の賜物だったのだ。

「『希望』のやつなんて、今ごろ『希望に燃えて新しい職場に向かうサラリーマン』にでも変換されてるんじゃないのか?」

「ええええ、だったら、俺の存在がこのランドセルと半ズボンに規定されているわけですか? そりゃ、大人が言い訳するより子供が言い訳した方がしっくりくるけれど……、そういう風にあいつが勝手に解釈したから……」

「お前の自己分析は今はどうでもいい!」

イチローは小学生姿の「言い訳」の首根っこを掴んだ。

「とにかく、セピア色の光に包まれて消えた『希望』や『愛』といったポジティブ概念たちも、この昭和の世界のどこかに、あいつの解釈通りの姿で落とされているはずだ。探し出さないと、概念界は崩壊する」

三人は、しぶしぶながら見知らぬ昭和の街を歩き始めた。

舗装の荒い道を歩いていると、ふいに二日酔いが「うおっ」と声を上げて飛び退いた。足元には、近隣の大学の馬術部が残していったと思われる、立派な馬のフンが転がっている。

「なんだこのリアリティ! 匂いまでキツイぞ!」

「文句を言うな。俺たちは今、圧倒的な『現実』の中にいるんだ」

イチローは鼻をつまみながら、ため息をついた。

概念という形なき存在だった彼らにとって、小田急線の轟音、踏切の警報音、土と鉄の匂い、そして生々しい馬のフンの臭いといった物理的な刺激は、あまりに強烈だった。

だが、泣き言を言っている暇はない。大文字の概念すら通用しないこの強固な現実と少年の空想が入り混じる街で、彼らはセピア化現象の謎を解き明かさなければならないのだ。

「行くぞ。まずは、あの辞書を持っていた少年の家を探るんだ」

ヨレヨレスーツのイチロー、赤ら顔の二日酔い、ランドセル姿の言い訳という、どう見ても不審者極まりない三人組の珍道中が、昭和の成城の街で幕を開けたのである。

(第3話に続く)

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|箱庭コントを紡ぐ 話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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