【登場人物】
はるひこ:10歳の長男。絶対的観察者。趣味は「江戸時代」。
みちこ:母親。専業主婦。ソファと一体化している。
まさよし:父親。弁護士。すぐ小言を言う。
【場面設定】
昭和47年、秋。土曜日の夜。成城・砧のはるひこ家の居間。時計は夜の10時半を回っている。居間の照明は消され、テレビの光だけが部屋を照らしている。みちこはソファでタオルケットを被り、画面をじっと見ている。テレビには赤い襦袢姿の女が映っている。なつひこは奥の部屋で寝ている。はるひこはパジャマ姿で、ドアの影から居間を覗いている。
はるひこ:お母さん、こんな夜中に何見てるの?
みちこ:(画面から目を離さずに)夜中じゃないわよ。まだ11時前でしょう? はるは、早く寝なさい。
はるひこ:え、これ、時代劇? 『TVガイド』に出てた?
みちこ:さあ、知らないわよ。いま、見てるから。はるは、もう寝なさい。
はるひこ:(テレビのほうに近づいてくる)今の丸刈りの人、なんでおはしをくわえてるの?
みちこ:あれは針よ。
はるひこ:針? お母さんみたいだ。
みちこ:何言ってるの。ああ、お母さんが口に入れてたのは、針じゃなくて、糸のほうでしょう? これはね、梅安先生の仕事の道具なの。
はるひこ:仕事? 先生だったら、お医者さん?
みちこ:まあ、そんなところね。もういいから、はるは寝なさい。
はるひこ:針で病気を治すの?
みちこ:そうよ。悪いやつを、針でブスッとするのよ。
はるひこ:ブスッと?(みちこの横に座って)ぼくも見る。
みちこ:だめよ。はるは、仮面ライダーのクモ男が出ただけで、ソファの後ろに隠れたくせに。こんなの見たらおもらしするわよ。
はるひこ:も、もらさないよ。あれは、目がたくさんあって気味が悪かっただけだよ。
(みちこは、画面の林与一に釘付け)
はるひこ:(はるひこ、身体をくねくねさせながら)あ、「あら、おさむらいさん、いい男ね」の目だ。
みちこ:何言ってるの、あれは、流し目って言うのよ。
はるひこ:流し目? 目が流れちゃうの?
みちこ:もう、いいから、はるは寝なさい。
(ガチャリと玄関のドアが開く音がして、まさよしが不機嫌そうに入ってくる。スーツが少しヨレている)
まさよし:帰ったぞ。なんだ、まだ起きているのか、おんぱりそ。
はるひこ:お父さん。お母さんが、テレビで針くわえた人と、「あら、いい男ね」の目の人を見て、めずらしく元気にしてるよ。
まさよし:(ネクタイを緩めながら、テレビをちらりと見る)ん? ああ、「必殺」とかいう時代劇か。法の下の裁きを待たず、私刑を下すなど、法治国家の否定だ。
みちこ:(画面を見たまま)テレビ局に言ってくださいよ。
(まさよし、頭からモアッと湯気を出す)
はるひこ:ねえ、お父さんは仮面ライダー怖くないの?
まさよし:バッタの改造人間など、疲れて帰っておんぱりその質問攻めに遭うことに比べたらましだ。はるは、もう寝ろ。
はるひこ:じゃあ、ブスッとするのは怖い?
まさよし:ブスッと?(それには答えず)お、山村聰じゃないか?
みちこ:知り合いですか?
まさよし:山村聰は、東京帝国大学を出ているからな。おんぱりそも、見るなら、山村聰が出ているところだけにしろ。
はるひこ:そんなの無理だよ。
まさよし:だったら、はるは、もう寝ろ。
(テレビから、チャリンという音と「うっ」というくぐもった声がする)
みちこ:あ、やったわ。(小さくあくびをする)
はるひこ:(まさよしの頭を見上げて)お父さんの頭も、針を刺して湯気を出すの?
まさよし:やかましい。はるは、さっさと寝ろ。
(まさよしはドシドシと足音を立てて書斎へ引っ込む。居間には、クライマックスに向けた音楽と、みちこの寝息のような音が混ざっている。早く寝ろと言われ続けたはるひこは目をこすりながら、トイレへ向かう)
(幕)
作・千早亭小倉



