スケッチ「薄い黄色い水」

【登場人物】
はるひこ
:10歳の長男。左利きで国語辞典の例文を読むのが好き。
なつひこ:5歳の次男。言葉は話さず、耳元で指をこすり合わせる。
まさよし:父親。弁護士。いつも不機嫌で頭から湯気が出ている。
みちこ:母親。専業主婦。ソファに背中を沈めている。

【場面設定】
昭和47年の秋。世田谷区砧にある新築の平屋の居間。

(はるひこが床に座り、左手で分厚い国語辞典をめくりながら、右手でコップに入った薄い黄色いジュースを飲んでいる。なつひこは子ども用の椅子に座り、耳の横で親指と中指をこすり合わせ、シャリ、シャリする音を満足そうに聞いている。みちこはソファに深く背中を沈め、天井のシミを見つめている)

はるひこ:お母さん、プラッシーって、なんでお米屋さんが持ってくるの? これ、お米の汁なの?

みちこ:(首だけ動かして)……さあね。お米の汁なら、甘くないでしょ。

はるひこ:でも、国語辞典でジュースを引くと、果物などのしる、って書いてあるよ。これ、果物の味なのかな?

なつひこ:らっら、らっら。

(書斎のドアがバンと開き、まさよしが出てくる。翻訳されたミステリー小説を握りしめ、おでこにしわを寄せている。頭からモアッと湯気が出ている)

まさよし:オーマイマッシュルーム。

みちこ:(天井を見たまま)どうかしました?

まさよし:日本の翻訳家はどうかしている。海外の洗練されたミステリーを、ただの直訳で台無しにしている。おまけに、誤訳ばかりでまったく頭に入らん。怒りでキノコが生えそうだ。

みちこ:それなら、英語のまま読めばいいじゃないですか。

まさよし:いや、誤訳を見つけるのが楽しいのだ。

(みちこがためいきをつく)

はるひこ:お父さん、ホンヤクってなに?

まさよし:言葉を別の言葉に置き換えることだ。だが、ただ置き換えればいいというものではない。そこにはセンスが要る。

はるひこ:じゃあ、プラッシーを翻訳すると何になるの?

まさよし:プラッシーは固有名詞だ。そんなものは翻訳できん。

はるひこ:でも、プラッシーはジュースじゃないかもしれないから、新しい言葉が必要だよ。だから、さっき僕が辞書に新しい言葉を書き足しておいたんだ。

まさよし:(怪訝な顔をして)……何を書き足したんだ、おんぱりそ。

はるひこ:プラッシーの意味は、「お米屋さんが持ってくる、薄い黄色い水」。例文は、「お客さんが来たので、薄い黄色い水を出した」にしたよ。

まさよし: (ため息をつく)お前は、国語辞典をなんだと思っているんだ。

(まさよしの頭の湯気が、少し勢いを増す。なつひこが、テーブルの上に並べた白いレンゲを指で弾き始める。カチン。カチン)

なつひこ: らっら……だっ!

みちこ: (ゆっくりと起き上がり)そうだ。誰か、台所にあるお醤油の瓶のフタ、開けてくれない? 手が滑って、どうしても開かないの。

(はるひこは辞書のページをじっと見つめ、まさよしはミステリー小説を再び読み始める。カチン。カチン。レンゲの鳴る音だけが居間に響き続けている)

(幕)

プラッシーについて:作中で触れられている「プラッシーがお米の汁(研ぎ汁)である」という噂は、お米屋さんで配達されていたことから子どもたちの間などで広まった都市伝説です(当時「都市伝説」という言葉はありませんでしたが)。実際には、みかん果汁にビタミンCを配合したオレンジ飲料です。Cがプラスされてプラッシーとなったようです。

作・千早亭小倉

*ここあん村および本サイトに掲載している小説類の設定はフィクションです。
*The articles on this site were written by a human, peppered with AI.
*無断転載禁止 Copyright © 2025 千早亭小倉|話紡庵レーベル All Rights Reserved.

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