【登場人物】
はるひこ:10歳の長男。
なつひこ:5歳の次男。
まさよし:父親で弁護士。休日でも書斎と居間を往復し、不機嫌。
みちこ:母親で専業主婦。
【場面設定】
昭和47年の初夏。東京都世田谷区成城のはるひこ家の居間。はるひこは、小田急線の路線図をノートに書き写している。なつひこは、「らっら」と言いながら、黒い虫メガネを並べている。
(はるひこが床に腹ばいになり、画用紙に小田急線の駅名を順番に書き込んでいる)
はるひこ:成城学園前、喜多見、狛江、和泉多摩川……登戸。お母さん、登戸の次は向ヶ丘遊園だよ。
みちこ:(ソファに沈んだまま、天井を見つめて)……そうね。
はるひこ:国語辞典を引くと、「遊園地」は「遊具や設備をもうけて、遊び楽しむようにした場所」って書いてある。僕の家にも小さなトランポリンがあるから遊園地だね。
なつひこ:(床に並べた黒くて小さい虫メガネの端っこを人差し指で撫でている)らっら、らっら……。
(書斎からまさよしが、翻訳された海外ミステリー小説を握りしめて出てくる)
まさよし:おんぱりそ、やかましいぞ。
はるひこ:向ヶ丘遊園には、モノレールがあるんだよ。お父さん、なっちゃんと僕は遊び楽しむようにした場所に行ってみる「権利」はある?
まさよし:(鼻で笑って)モノレールなんてものは子どもだましの鉄の箱だ。(はるひこの画用紙を覗き込み)だいたい、お前、字が間違っているぞ。向ヶ丘遊園の「ヶ」は、大きな「ケ」ではなく、小さな「ヶ」が正しい。誤訳みたいなものだな。
みちこ:(目を閉じたまま)おとなげない。お父さんは、書斎が遊園地なのよ。
まさよし:なんだママ、皮肉のつもりか。私はこの国の湿気から逃れて、翻訳の誤りを正しているだけだ。
なつひこ:だっ! (なつひこが急に立ち上がり、テレビの前を横向きにぴょんぴょんとはねながら通り過ぎる)
はるひこ:あ、なっちゃんが発車したよ。(実況の口調)お父さんの頭の湯気で、ふわっと浮き上がりました。
まさよし:(おでこにしわを寄せ、頭からモアッと湯気を出しながら)ぽんちょはモノレールではない! いまのはただの横移動だ!
なつひこ:いっ、いっ!(なつひこははるひこの画用紙を踏んづけて、そのまま台所のほうへ走っていく)
みちこ:はる、お昼は昨日のカレーでいいわね。
はるひこ:うん。(画用紙についたなつひこの足跡を見つめながら)冷えたカレー大好き。
まさよし:(まさよしは、はるひこの路線図に間違いがないか見ている)おまえもなかなか言うな(はるひこの言葉が皮肉だと思っている)。
みちこ:火は入れなきゃだめよ。(みちこが再び寝返りを打つ)
はるひこ:えー、おいしいのに。
(台所から、なつひこが冷蔵庫を叩くペチペチという音が聞こえてくる)
(幕)
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