コント「こねこはん」

【登場人物】
生地 こね子
:35歳。ここあん村のパン屋「boulangerie KONEKO」の店主。パン作りに情熱を注ぐが、実は重度の「米派」という矛盾を抱える。背が低く、オーブンで腕を火傷しがち。
おはぎはん(宏原 こはぎ):22歳。フリーライター。理想に燃える現場主義者で、強い関西弁を話す。曲がったことが大嫌い。

【場面設定】
閉店後のパン屋「boulangerie KONEKO」の厨房。店主の生地こね子を、おはぎはんが密着取材中。

おはぎはん:こね子さん、ちょっとその腕、見せてみて。前腕部にある、赤々とした、それってもしかして。

生地こね子:(明日の仕込みの準備をしながら)ああ、これね。今日のオーブン、少し機嫌が悪くてね。

おはぎはん:機嫌が悪いとかそういう問題やないです。やけどのあとやないですか。これは明らかに労働環境の欠陥による労災ですわ。店主自らが暗黒労働を黙認しているなんて、ジャーナリストとして見過ごせません。

こね子:暗黒って……、うちの店の評判を下げないでよ? 私が背が低くて、高い段のオーブンに天板を入れる時に腕の皮膚が触れちゃうだけよ。修行時代からずっとこうだから、気にしないで。

おはぎはん:いつものこと? そんな前時代的な精神論で物理的な危険を正当化するなんて、言語道断です。踏み台を導入するとか、オーブンの位置を下げるべきや。

こね子:踏み台に乗ったら、生地との微妙な距離感が狂うの。あんたみたいに言葉をこねくり回して、記事を書いてるだけの人間には、この数ミリの感覚なんてわからないわよ。

おはぎはん:記事をこねくる? それは、こね子さんのほうやろ。名前かて、生地こね子やし。

こね子:記事じゃないわよ。言葉をこねくり回してって言ったのよ。

おはぎはん:うちは現場の真実を足で稼いでるんや。そりゃ、うまいこと原稿が書けんで、ああでもないこうでもないって、書いては消し書いては消しのコピペ地獄の……いや、うちのことはどうでもええねん。

(こね子、少し呆れたように、おはぎはんを見る)

おはぎはん:(はぁはぁ言いながら)なんやったかな、ああ、そうや。時代遅れの職人魂に酔いしれているあんたの人生観こそ、根本から間違ってますわ。でもな、こね子さんのところのパンがうまいのはわいも認める。だから、その曲がった根性で生地をこねくり回して、どうしたら、あんなおいしいパンができるんか、現場主義のわいとしては、絶対に見届けなあかんのや。

こね子:言葉だけじゃなくて、おはぎはんは理屈をこねるのも好きなのね。でも、私はね、生地をこねくり回したりはしないのよ。ほら、おはぎはん、これ持ってみて!

(こね子は、ずっしりとした大きなパン生地の塊をおはぎはんの顔面に物理的に押し付ける)

おはぎはん:うわっ。なんやこれ、冷たっ。柔らかっ。ちょっと、息ができへん。……って、冷たっ!? パン生地ってもっと、こう、人肌みたいに温かくてフワフワしてるんかと思てましたわ!

こね子:当たり前でしょ! 捏ね上げ温度が24度を超えたら、イースト菌が暴走して過発酵になっちゃうのよ! 手の摩擦熱も計算に入れて、仕込み水は5度に設定してるんだから! あなたのその無駄に熱い手で長く触ったら、せっかくの生地がダメになるわ!

おはぎはん:(生地から顔を出し、鼻の頭の汗を拭う)げほっ、ごほっ。ひえー、すんまへん! 「生地こね子」って名前やから、もっとアツアツのドロドロで捏ねるもんやとばかり……。

こね子:名前は関係ないわよ! だいたい「こね子」って名前だって、親が異常な猫好きで「子猫」って名付けようとしたのを、犬好きの親戚に全力で止められたから、せめて音だけでもって無理やり付けられただけなんだから!

おはぎはん:そ、そうやったんですか。だいぶぶっ飛んだ親御さんですなぁ。せやけど、名前の由来はともかく、毎朝3時起きでこんな繊細な温度管理してはるなんて、ほんまプロの鑑やわ。

こね子:(急に動きを止め、鼻の頭に粉をつけたまま、少しだけ声を震わせて目から大粒の涙をこぼす)2時半よ、2時半。朝っていうか、夜中よ。ということはね、夜の8時前にはもう寝てるってことなのよ。

おはぎはん:え?

こね子:わかる!? 私が毎日、2時半から、どんな気持ちで生地と向き合っているか知らないくせに。世間の大人たちが居酒屋でビール飲んで盛り上がってる時間に、私はひとりで布団を被って目を閉じてるの! 金曜の夜のテレビ番組なんて、もう何年もリアルタイムで見てないのよぉ!

(こね子、悔しさとパンへの情熱で目を潤ませながら、おはぎはんの背中を粉まみれの手で力強く叩く)

おはぎはん:いっ、痛い痛い! こね子さん、力強い! これがこね子さんが命を削って育てている生地の重み……。でも、なんやろ。この手に吸い付くような弾力と、押し返してくるような感触。

こね子:わかるかしら。酵母が呼吸しているのよ。

おはぎはん:わかりますわ。うちが台所ですりこぎを使って、もち米を半分だけ潰す時の、あの手応えにそっくりや。米の命を捏ね上げている感覚と、完全に一致しましたわ。

こね子:もち米の命の感触。おはぎはん、あなた、お米の本当の美味しさを知っているのね。

おはぎはん:当たり前ですやん。日本人なら、やっぱり米ですわ。それより、あの噂、ほんまやったんですね。

(こね子が口の前に人差し指を立て、「それは秘密」のポーズ)

おはぎはん:(おはぎはん、さっき受け取ったパン生地をこね子に差し出す)さ、こね子さん、明日もこのパン生地で、ここあん村の胃袋を満たしてあげなやね。

こね子:おはぎはん、それさっきからずっと胸に抱いてたでしょう? 売り物用には使えないわ。ここからは、おはぎはんのために、特別パン教室よ。

おはぎはん:こね子さん、なんかすんまへん。

こね子:あ、さっきは店のパンのこと、褒めてくれてありがとう。

おはぎはん:うちの作ったおはぎ、今度持ってきますさかい、それが講習費ってことで。

(幕)

作・千早亭小倉

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