【登場人物】
新浪 いちご: 元国際量子記号研究所研究員の18歳。すべてをデータとして処理し、最適解を算出するためには脳の演算能力をフル稼働させる「論理の孤島」。
平泉 慧: ここあん大学大学院M2(理論物理学専攻)。エネルギー保存の法則を遵守し、一切の無駄な動き(カロリー消費)を拒む、究極の省エネ主義者。
【場面設定】
ここあん大学早稲田サテライトキャンパス、地下ラウンジ「アンコンフォーミティ」。 平泉慧はソファに深く沈み込み、片手を紙の束の上に置き、もう一方の手を頬のそばに添えた「絶対静止」の姿勢を保っている。そこへ、新浪いちごが音もなく入室してくる。

平泉 慧:(眼球だけを動かして、いちごの歩行の軌跡を追う)……美しい。
新浪 いちご:(歩みを止め、慧へ顔を向ける)歩行のフォームについてでしょうか。
慧:ええ。無駄な関節のブレがない。床との摩擦係数を最小限に抑えた、完璧な重心移動。そして今、完全に静止した。見事な運動エネルギーの節約よ。
いちご:私の歩行は、骨格筋の疲労度と床面の素材から算出された最適解です。ですが、現在、私は静止していません。
慧:(眉をわずかにひそめる)物理的な座標は移動していないわ。
いちご:物理的座標は固定されていますが、内部システムは高負荷で稼働中です。現在、あなたの呼吸頻度、瞳孔の収縮率、および室内の二酸化炭素濃度を変数とし、今後35分間のラウンジ内の環境変動を並列演算して、私の次善の行動プロトコルをシミュレーションしています。
慧:(頬に添えていた手を、重力に逆らわないようゆっくりと下ろす)……待って。それだけの計算を、脳内だけで行っているの?
いちご:はい。外部デバイスへの接続時間とバッテリー消費を考慮した結果、脳の演算領域を使用する方が時間的に効率的と判断しました。
慧:……その並列演算における、あなたの脳のカロリー消費量はどうなっているの。
いちご:現在、最大値の85パーセントに到達しています。脳の温度上昇を防ぐため血流量も増加傾向にあり、非常に高いエネルギーを消費中です。
慧:(顔をしかめ、ソファの背もたれに深く寄りかかる)……最悪だわ。究極の省エネの同志かと思えば、ただの基礎代謝の無駄遣いじゃない。見ているだけで、こちらまで熱力学的に疲弊してくるわ。
いちご:私のエネルギー消費は、情報収集とプロセスの最適化に必要なコストです。無駄ではありません。現在、あなたの脈拍数の上昇と発汗の兆候を検知しました。熱力学的疲弊という主観的感覚が、自律神経系に物理的なエラーを引き起こしているようです。
慧:……エラーじゃないわ。あなたが莫大なカロリーを消費しているという事実が、私の周囲のエントロピーを無駄に増大させているのよ。少し、計算のペースを落としてくれない? 部屋の温度が上がりそう。
いちご:室温の上昇は現在0.02℃です。誤差の範囲内です。あなたのストレス値の推移も、新たな変数としてシミュレーションに追加しました。現在、私のカロリー消費量は87パーセントに上昇しました。
慧:(目をきつく閉じる)……やめて。私の存在を、あなたの無駄な燃焼の材料にしないで。ここから立ち去りたいけれど、そのための運動エネルギーすら惜しいわ。
いちご:逃走によるカロリー消費と、ここに留まることによる心理的負荷のコスト比較ですね。演算します。
慧:もういい。私は今から、システムを冬眠モードに移行させる。あなたが炭にでもなって燃え尽きるまで、私は動かない。
(慧は完全に目を閉じ、呼吸を極限まで浅くする。いちごは、その「絶対静止」への移行プロセスを、瞬きもせずに観測し続けている)
(幕)
![[公式]千早亭小倉の世界 | ここあん村案内所](https://atelier-cocoan.com/wp-content/uploads/2026/04/20260410_125128.jpg)



